今そこに残っているものに目を向けて、活かすということ
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- 投稿日:
- 2017.07.26(水)
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- コラム
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- 地域文化拠点
日和山五合目 館長
路地連新潟 メンバー
野内 隆裕氏
路地連新潟 自分の町の楽しみ方
江戸時代の初め、信濃川の河口に位置していた新潟町は、現在より海岸寄りの場所(寄居町・旭町・大畑周辺)にあったのだそうです。しかし、川の流れや運ばれてくる土砂による地形の変化で、湊が使いづらくなったため、明暦元年(1655) 中洲の島へと移転しました。町は信濃川の流れに沿うように『通り』、直行する様に『小路』が作られ、川と海から運ばれる荷物を小舟にて運搬・取引出来る様『掘』がめぐらされ『みなとまち』として繁栄したのだそうです。現在の古町・本町界隈のお話しです。
時は過ぎ、町の風景も変わりました。無くなったもの、失われたものに関心が向けられがちな中、歴史や風情を感じさせる『新潟の小路』、江戸時代、水先案内に役割を持ち、名所としても賑わっていた『日和山』、寺院が一直線に並ぶ『西堀通の寺町』、迷路のように複雑なまちなみの『新潟の下町(しもまち)』等々、今現在そこに残っているのに、忘れられていることがなんとまぁ勿体ないことかと思い、自主的に案内板や地図を作って紹介していたところ、「それいいね!」と共感してくれた人々が集まり、活動の輪が拡がりました。民間のそんな動きに行政も協力参加ということになり、官民共同のユニットとして誕生したのが『路地連新潟』です。
新潟の町・小路めぐり
最初に始めたのは『新潟の小路』を『歴史』からではなく、『風景』の魅力から関心を持ってもらい、楽しみながら歩いてもらおうということでした。それまで現地に表示の無かった小路に『小路名』と『歴史』、そしてその小路で私がいいなと思った『風景』を描いたイラストを加えた自家製の『案内板』を作ってみたのです。パソコンで出力した紙をラミネートパウチした簡単なモノでしたが、許可を得て該当する小路の片隅に貼らせてもらうと、いろんな反応がありました。案内板の前で小路名の由来を解説してくれる年配の方々、描かれた小路の風景を探しながら巡ってくれる総合学習での小学生。嬉しかったですね。案内板をめぐる切っ掛けになればと思い『小路の風景めぐり地図』も作ってみました。それまで残っていたが故に当たり前の風景として見過ごされていた『新潟の小路』に、『歴史的な意味』と『風景の魅力』があることを発信してみたという訳です。
そんな民間でやってみた第一歩に着目し、「それいいね!」と協力参加してくれたのが新潟市でした。案内板と地図をリメイクしたいということで、一緒に作製させていただいたのが、2008年より発行され続けているまちあるき地図シリーズ『新潟の町・小路めぐり』と、本町通、古町通、西堀通、沼垂等に設置していただいた『小路めぐり案内板』です。案内板は、当初、私が作った案内板のデザインをほぼ踏襲したもので、『小路名』『歴史解説』『魅力ある路地の風景イラスト』が盛り込まれた形で制作していただきました。
まちあるきのしかけ『制作』グループとしての『路地連新潟』の活動では、七年間で六種類の地図を完成させ、百基以上の小路めぐり案内板を設置するお手伝いをさせていただきました。本来であれば、そこで活動は終了となるのでしょうが、せっかくお手伝いさせていただいたハードを活かしたいよね、ということで『路地連新潟』の活動を、まちあるきのしかけ『活用』グループへとシフトさせました。
毎年、7月末に中央区本町通五・六番町・人情横丁にて開催される『千灯まつり』では、近くに住む小学生の皆さんに小路を楽しんでもらう『小路めぐり・スタンプラリー』を開催させていただいております。路地の風景をスタンプにし、イベントエリアにある小路案内板に設置したものなのですが、スタンプを押してゆくと小路の風景冊子が完成する、というささやかなイベントなのですが、毎年200名近くの子供達が小路をめぐってくれています。子供達はスタンプを埋めるという事が面白いらしく、イベントエリア内11箇所の小路を探しスタンプ帳を埋めてゆきます。小路の歴史には関心はないようですが『自分の町を体験する切っ掛けつくり』が、このスタンプラリーの目的なので、今はそれでいいのです。今年(2017)でこのスタンプラリーも十周年、小路めぐりを通して、町を体験した子供たちの存在は、きっといつか何かに繋がるだろうと思っております。
みなとまち新潟・下町あるき
江戸時代、中洲の島に移動した新潟町は、信濃川によって運ばれる土砂の堆積によって河口へと伸び、砂州や中洲や寄り付いて、新しい土地が広がりました。現在、私が住んでいる新潟の下町(しもまち)と呼ばれるエリアです。
北前船の寄港地、開港五港として栄えた『みなとまち新潟』の歴史を学べる拠点、新潟市歴史博物館みなとぴあ(中央区柳島町)が下町に開館した事は、新潟の『まちあるき』にとって大きな出来事でした。こちらの展示で『地形の変化』『砂丘』『砂防林』『北前船』『開港五港』の歴史を学んでみると、私の住む新潟の町の『見慣れた風景』に意味があることに気付くことができるのです。であれば、ここで学んだ後、その歴史に登場する現場が点在する下町を歩いてもらいたいなぁと思い『路地連新潟』と新潟市で平成22年(2010)に、まちあるきコースの提案として、制作させていただいたのが、地図『新潟下町あるき 日和山(12.3m)登山のしおり』と『にいがた お宝案内板』でした。
新潟港を望む開港新潟のシンボル旧新潟税関庁舎を眺め、みなとぴあを出発 → 湊稲荷神社(中央区稲荷町)にて、逆風祈願の願掛け高麗犬を回し → 金刀比羅神社(中央区寄合町)の難船彫刻絵馬にて船乗り達の祈りに触れ → 願隋寺(中央区元祝町)では開港前の外国船来港の出来事を知り → 開運稲荷神社(中央区四ツ屋町)では北前船にて運ばれてきた石で彫られた狐像に出会い → 日本海を見渡す日和山展望台(中央区西船見町)にて日本最大級の新潟砂丘を眺め → 新潟港水先案内発祥地の日和山(中央区東堀通十三)へとめぐる約一時間半のコースです。
みなとまちの歴史に関わりのある現場『点』を結べば『線』になり、張り巡らせれば『面』になる。さらに地形を意識させれば『立体的』に楽しめます。江戸時代の『湊』、開港後の『港』の歴史に触れ、海岸の『砂丘』の存在を足で感じてもらおうというシナリオですが、やっている事は『新潟の町・小路めぐり』と同じく、今現在そこに残っているのに目を向けて、活かすということでした。ありがたいことに、この地図を片手に案内板を頼りに、このコースを巡ってくれる方々も増えました。また、新潟シティガイドさん達の活躍により、下町あるきも盛んになっているようです。
進化する日和山(12.3m)物語
このコースのゴールとなる日和山(中央区東堀通十三)は砂丘の山で、現在の標高は(12.3m)。
『日和』とは天候を見るという事で、北前船の寄港地には欠かせない施設だったそうです。 全国におよそ80箇所の日和山が存在しているそうですが、その一つがこの山でした。江戸時代から明治の初めにかけて、新潟の港や町を見渡す『水先案内』の発祥地として、また名所として賑わっていたそうですが、地形の変化により港からは遠くなり、新たな砂丘の形成により海が見渡せなくなったうえ、明治十三年(1880)年に新潟の町を焼き尽くした大火で、山頂の住吉社と櫓、茶屋などが消失すると、やがて人々から忘れられてしまいました。
縁があり、興味を持ち『新潟の町・小路めぐり』と同じく、この山の歴史と風景の面白さを自家製の『案内板』や『地図』を作り、案内をし、発信をしていたところ、こちらでも新潟市にお声掛けいただき、この山を整備するお手伝いをさせていただくこととなりました。民間有志と新潟市、新潟大学との官学民で構成された『日和山委員会』の作品が、現在、名所として復活した『日和山(12.3m)』です。平成26年(2014)、日和山の中腹に『日和山五合目』というcafeがオープンしました。日和山の歴史と物語と風景を楽しむ拠点になればと、私が作った施設です。盛り上がってきた新潟の『まちあるき』のついでに是非お立ち寄り下さい。
街の本質をちゃんと磨き上げ、あるものを探して磨くことが、すごく大事だと思う
路地連新潟の『新潟の町・小路めぐり』は平成25年(2013)、日和山委員会の『進化する日和山物語』は平成26年(2014)、それぞれグッドデザイン賞に選ばれました。また、新潟の町に点在する北前船の寄港地ゆかりの文化や名所は、平成29年(2017)日本遺産の構成文化財に選ばれました。 ないものねだりからあるもの探しへ「自分の町の魅力に気付き、楽しみ、発信する」そんな活動を、これからもゆっくりと続けてゆきたいと思っています。
文:野内隆裕
◎2018.3 !NEW!◎第2回「ニイガタ安吾賞」を野内隆裕さんが受賞されました。
詳しくはニイガタ安吾賞詳細ページをご覧ください。