【事業アーカイブ】2026/1/23 語りの場 vol.39 「メリーゴーランドと演劇で新潟の森林を救う?~MORRY GO ROUND’25 家具職人×コント職人×木工作家 で見通す森・街・人のつながり~」
- 工芸デザイン
- 演劇
――2025年10月17・18日に万代島多目的広場・屋内広場 大かまで「MORRY GO ROUND’25」が開催されました。「モリーメリーゴーランド」という木製のメリーゴーランドが出現したり、音楽や演劇のステージがあったり、 トークセッションや家具工房さんによる椅子や机の展示、製材所さんのブース出店やワークショップ、マルシェという盛りだくさんのイベントでした。MORRY GO ROUNDを企画された方、ステージイベントに出演された方、木工作家として出店された方にお越しいただき、それぞれの意図や視点でお話いただきながら、木工産業と演劇が組み合わさることでどのような光が見えたのか、見えてきた広がりに迫っていきたいと思います。
――ゲストをご紹介します。MORRY GO ROUND実行委員会会長 中川雅之さんです。
(中川さん:以下、中川)まずは本日お越しいただきありがとうございます。本日初めてお会いする方、福島県からお越しいただいた方もいらっしゃって、嬉しいです。よろしくお願いします。
――中央ヤマモダン 山本康司さんです。「MORRY GO ROUND’25」では、木製メリーゴーランドを舞台に『山彦のバッティングフォーム』という作品を上演されました。
(山本さん:以下、山本)新潟で21年間、中央ヤマモダンというコントグループをやっています。 社会人をやりながら兼業、趣味でやっています。
――森瑞絵さんです。神奈川ご出身で、新潟に移住をされていらっしゃいます。「MORRY GO ROUND’25」では、木のカトラリー作品で出店されていました。
(森さん:以下、森)MORRY GO ROUNDのメンバーとして出店させていただきました。
――まずは「MORRY GO ROUND」にたどり着くまでの中川さんのお話を伺っていきたいと思います。中川さんは、大阪生まれで新潟大学建設学科建築学コースに進学されています。なぜ建築だったのでしょうか。
(中川)子どもの頃から建築が好きでした。点線で区切られているノートのマス目を2個で1mとしたら、ちょうど大阪の30坪の実家が開いたノートに入ったんですよ。その体験から、小学校2年生頃には、自分の家を建て替えるならという空想をして、中古住宅のチラシの間取り図を見本にしながら間取り図を描いていき、見開きで1階と2階を作り、3階や地下も作るという幼少期を過ごしていました。高校入学時はその幼少期のことを忘れて、メディアや雑誌の編集者、学校の先生などいろいろなことを考えつつも、新潟大学建設学科に進学しました。
――新潟大学卒業後、岐阜県立木工芸術スクール木工工芸科に進学されています。岐阜県、木工、飛騨高山、という連想がされますが、どのタイミングで木工に焦点があたっていったのでしょうか。
(中川)建築士になる予定だったんです。でも何か怖かったんですよね。大学3年生のときに、模型を作って学校で徹夜し、そのままアトリエ系の建築・設計事務所に就職して毎日遅くまで仕事をする生活は嫌だなと思って、就活をしなかったんですよ。就活せずに学生生活を送り、大学卒業後1年くらいはバイトをしながら「これからどうしよう」と考えていました。そのときに、「とりあえず北へ向かおう!」と車で出発したのですが、新発田で寂しくなっちゃって。当時、新発田のショッピングモールの中に書店があり、そこで、自分でデザインして自分で設計して自分で作ってそれを自分で売って生計を立てている、という家具職人の雑誌を見つけ、「あ!こういうの好きだった!」と思い出しました。どこにも属さず、自分で仕事を作って自分で完結させるということが、すごく魅力的に感じて、そこから変わりました。 家に帰って、家具工房の第一線で活躍している方たちのプロフィールをネットで調べたら、その多くが職業訓練校卒と書いてありました。それで、「ここだ!」と。新潟から近い(木工が学べる)職業訓練校が長野か岐阜で、飛騨高山楽しそう、ということで岐阜に進学しました。
――岐阜で勉強された後、奈良と京都で修行されています。修行は何年くらいされたのでしょうか。
(中川)すごく短いですよ。学校と修行期間を合わせて4年です。その後独立しました。今考えるとどうなのかと思いますが、当時は、何者にも縛られたくないという独立志向が強くて。木工は一人前になって独立するまで約10年かかります。けれど、とにかく屋号を掲げて、小さなガレージでもいいから自分で始めたいというのがあって、28歳でISANAという家具工房を始めました。
――それが2011年。
(中川)そうです。2011年の震災があった3月、私は京都に住んでいて、6月に新潟に引っ越してきます。今の沼垂テラス商店街のスペースを京都にいたときに見つけていたので、そこでやる算段で始めました。
――ご実家に近い関西から新潟に戻ってこようと思われたのはなぜなのでしょうか。
(中川)大阪生まれ大阪育ちで新潟大学に入って、最初は友だちも知り合いもいませんでした。でも4年間過ごして友だちもたくさんできました。結構真面目な話をすると、まちのコンパクトさが衝撃だったんですよ。もっと分かりやすく言うと、新潟のファッション雑誌に友だちが載っている、テレビをつければ地方局に友だちが出ている、という世界。私は大阪市内に住んでいたわけではないですが、大阪にいるとテレビや雑誌は別世界のことのように感じていました。雑誌に載っているカフェやお店などは自分の生活圏外のことだから、地元の雑誌を見ても行かないし意味がないんです。そういう状況だったのが新潟に来て、友だちが出ている雑誌やテレビを見たときに、「めちゃくちゃ身近なことじゃん」と。新潟で不自由なことがなくて大阪に帰る必要もないし、むしろ地方、政令指定都市くらいの規模感のまちが一番住みやすいんじゃないかなと思ったんです。何の実績もない28歳が家具工房やりたいです、まちで何かやりたいです、となったときに、大阪や東京ではきっと誰も取り合ってくれないと私は思います。だけれど新潟だったら、私が地域の雑誌やテレビの地方局を見て身近に感じたように、身近に感じて相手にしてくれる人たちがいてくれるのではないか、と思いました。

――新潟の「近さ」に良さを感じて、木工が盛んな岐阜や京都、奈良から戻って来てくださいました。戻ってこられて、新潟の木工産業や環境はどのように見えましたか。
(中川)最初は「産業が」とか「木工の他の人たちが」というところまで目が行く余裕がなくて、自分のことだけで精一杯でした。ただ、先輩がいないな、というのはすごく思っていました。先輩となる家具工房の人たちが少ない。隣県には大きな家具メーカーがたくさんあります。山形であれば天童木工、長野は家具工房が多いですし、岐阜であれば飛騨産業があります。しかし、新潟は大きな家具メーカー、ほぼ0です。飛騨は「飛騨木工連合会」という家具メーカー等で組織される団体があるのですが、新潟は木工連がないですし、先輩もいないです。なので最初は、「すごい自由…!」と思いましたね。木工は厳しい世界で、作り方、やり方、木工の基本をしっかりやる流れがあるので、最初からその流れから解き放たれてやっていました。
――新潟市からは離れますが、加茂は桐箪笥が有名ですよね。
(中川)そうですよね。今でもおそらく加茂は桐箪笥のシェアが高く、教科書にも載るくらい伝統工芸としては有名です。桐箪笥のOEM(委託者のブランドで製品を生産すること、または生産するメーカーのこと)も加茂で作っていることが多かったです。その流れもあり、実は新潟は「新潟家具」として家具の五大産地の一つとして数えられていた時代、婚礼タンスを大量に作り、爆発的に売り上げていた時代が昭和30年代頃にあったそうです。その当時は家具産業が発展していて、今でも新潟市東区には「木工団地」という地名があるように、実は東区には貯木場や新潟合板という合板を作る会社もあり、一大産地だったんです。今も木工をされている方もいますが、その方々は東京の店舗什器の仕事に対応されています。婚礼タンスから脚物家具、つまりソファや椅子に産業として構造転換できたところ、飛騨や長野、旭川などが今、家具の産地として残っているんですね。では転換できなかったところはどうなったかと言うと、建築に飲み込まれたんです。みなさんのお家にクローゼットがあると思いますが、それは建築がタンスを作っているわけですね。今結婚して嫁入り道具で箪笥を持っていく人は0に近いと思いますが、昭和30年代は多くが箪笥を嫁入り道具として持って行っていたので一大産業になっていたのです。建築が家具に浸食してきて、新潟はその歴史の流れに取り残されてしまった。それは、加茂の桐箪笥発祥で家具産業が当時盛んだったから、というのもあると思います。婚礼タンスから脚物家具に構造転換ができなかった新潟、言い過ぎかもしれませんが、ある意味「焼け野原」的な所に2011年に私が引っ越してきて家具工房を始めた、ということになります。
――新潟市の海が近いところに貯木場があるというお話がありましたが、新潟は森も多いそうですよね。県土の68%が森林とのことで、素人目だと、そんなにたくさん森があるのなら、近くの木を家具に使えるのでは、と思ってしまいます。
(中川)そうですよね。でも実は使えないんですよ。なぜ自分の地域の材が使えないかというと、いろいろと理由はあるのですが、一番は「乾燥」です。「乾燥」をしないとテーブルを作っても反ったりしてしまうので、家具用材は製材の後、窯に入れて余分な水分を抜いて適正な含水率にする「乾燥」が必要です。製材するところまでは大体対応していただけるのですが、使いたい材を適宜「乾燥」まで対応してくれる所がないので、製材と乾燥まで済んでいる一般に流通している材料を買って作るのが、家具工房の基本です。地元の材料を使って作るのは、品質もよくないし価格も高くて商業ベースで使うにはナンセンスなんですよね。ただ、それはやっぱり引っかかる。28歳の頃から14年間ほどやっていて、なぜそこにあんなに木があるのにわざわざアメリカやロシア、北海道から来た材を使わなければいけないんだろう、と思って、いろいろな人に相談し始めたというのがMORRY GO ROUNDの大元です。
木は大きく分けて広葉樹と針葉樹があるのですが、針葉樹は柱などの建築に使い、家具にはナラ、ケヤキ、タモ、サクラなどの広葉樹を使います。私は家具職人なので広葉樹を使うのですが、新潟県産広葉樹を売っている所を全然見つけられませんでした。そんなとき、6~7年前に新潟県林政課の方から、「お困りごとがあったら言ってください」と仰っていただけたので、「県産広葉樹はどこに行ったら買えますか、どこかいい所はないですか」と相談しました。それを受けて林政課の方が調べてくださって、「スノービーチプロジェクト」というMORRY GO ROUNDのお手本、師匠のような方々を紹介していただき、実際に「スノービーチプロジェクト」の山に行き始めました。
――木を使いたい家具職人の中川さんが山に行かれてみて、どのような気付き、発見がありましたか。
(中川)福島県只見町に隣接する魚沼市大白川地区という、広葉樹のブナを約50年前から間伐している日本でもとても珍しい集落があるんです。間伐でとれたブナ、つまり使っていなかった木材をどうにか家具用材として丸太を世の中に出して、お金を山に返していくことができないかと、「スノービーチ(=雪国のブナ)プロジェクト」として新潟大学農学部で今は名誉教授の紙谷智彦先生が取り組んでいらっしゃいます。私は「スノービーチプロジェクト」が始まって3~4年経った頃に連れて行ってもらい、紙谷先生や森林組合の方、製材所の方、行政の方に話を聞いていきました。話をしていく中で、いろいろと思いました。私はただ新潟県産の材料の買い付けのために山に行ったんです。材料が欲しいだけ。材料があれば他の家具工房を出し抜ける、「うちは新潟県産広葉樹を使って作っています」と言うと売れそうだな、と思って行ったんです。そうしたら、すごく恥ずかしく感じました。林業を生業としていた大白川地区が今は限界集落になり、お金を還元する取り組みをみんなで一生懸命やってるところに、私はただ材料を確保しにきただけ。これは何かちょっと違うな、と。これは私 ISANAだけで県産広葉樹を使っていますと言っても、年間で使う消費量は立木何本かで、たかが知れています。私が材料を買ってお金を払っても、そこの集落が、そこの林業がどうなるものでもない、これはもう欺瞞だなと思いました。これはみんなでやらないといけない。と言うのも、新潟が「焼け野原」だったからです。大きなメーカーもないし、家具工房もすごく少ないのに、新潟県産広葉樹って誰が使うんだろう、と山に行った瞬間に思いました。おもちゃなども広葉樹は使いますが、一番広葉樹を使うのは家具工房です。例えば群馬の人は新潟県産材でなくてもよいと思うと思うので、新潟の家具工房が率先して新潟県産広葉樹を使う、新潟県の家具工房で仲良くして一緒にやる形にしないと、県産の木を使う意味がないな、と。そこで、ライバルだった家具工房や全然知らない家具工房にお声掛けし始めました。
――仲間を作って新潟県産広葉樹を使えるようにする。自分だけだと使う本数が少ないからみんなで使うようにしたら、家具に適した含水率の用材に整えてくれる、対応してくれる所が増えるかもしれない、ということでしょうか。
(中川)そうですね。プレイヤーの大きさのアンバランスさでうまくいかないところがあるな、と思ったんです。森林組合は山があって木もいっぱいあって事業規模として大きい、製材所も建築用の製材を担っているのでほとんどが大きい事業規模です。でも、家具工房は小さくて数も少ない。これがもうアンバランスですよね。家具工房が「木を3本ください」と言ってもビジネスとして取り合ってくれない。だから、0.1の需要でも10個集まったら1になる。10個くらい集めて束になった状態で、製材してもらえませんか、乾燥してもらえませんか、と言うことで初めて成立して、あたらしい局面が迎えられるのではないか、と考えました。
――仲間を集め始めたところで登場するのが、森さんですね。森さんから、中川さんと出会われた経緯をお聞かせいただけますか。
(森)私は普段十日町の製材所 UC Factoryで広報などの仕事をしています。基本的にスギなどの針葉樹を建築用材として扱っているのですが、広葉樹も取り扱っていけたらいいよね、と会社の中でも話に挙がっていました。そんなときに、MORRY GO ROUNDのメンバーの方々が見学にいらっしゃいました。
(中川)広葉樹の製材・乾燥について少し話をしませんか、と仰っていただいて、自分を含めて3人で見学に行きましたね。そこで、社長さんに先ほどお話したようなお話を一生懸命しました。
(森)中川さんが社長に話をしているとき、私は自分の仕事をしていました。Instagram上で誰がやっているかは知らないけれどMORRY GO ROUNDという楽しそうなことをやっているグループがあるな、いいな、仲間に入りたいけれど誰も知らないな、と見ていました。そんな中で、あ、お客さん来たな、と思っていたら、MORRY GO ROUNDの人たちだ、Instagramの人たちだ、と。
(中川)私が社長さんとお話していると、森さんから何杯もお茶が出てくるんですよ。そして、パソコン操作しながらすごく見てくるんですよ。なんだろう、と思って。
(森)話すきっかけを探って。
(中川)お茶を持ってきてくれたときに、家で自分で木のスプーンを作っているんです、と言うんですよ。木工をされているのですかと聞いたら、技術的なことは全然わからないけれど木工をやりたい、スプーンを作りたいと。さらに製材所勤務という、とてもニアーな所にいらっしゃったのが森さんです。製材所の中を見学させてもらうときにもいろいろと話をして、社長からMORRY GO ROUNDの担当は森さんで、ということになり、製材所とのやり取りを森さんとやるようになった、という流れですね。MORRY GO ROUNDのメンバーは当時10人くらいだったのですが、仲間入りしちゃいなよ、木工作家としてMORRY GO ROUNDのイベントでデビューしちゃいなよ、木材を切るときはこの機械を使うといいよ、と盛り上がりましたね。

――そのデビューが昨年10月のMORRY GO ROUND’25、ということですね。とはいえ、スプーン作り、木工に行きついたのはなぜなのでしょうか。
(森)モノを作るのが好きで、引っ越してきたときに何もない状態だったので、必要な棚などは買うよりも作った方が楽しいかな、というところからですね。
(中川)いつ新潟に引っ越してきたのですか。
(森)2020年ですね。
――新潟に来られる前は神奈川で保育士をされていたとのことですが、移住のきっかけを教えてください。
(森)新潟に来たのは本当にたまたまで。保育は、子どもとの暮らしが根本にあるのですが、暮らしを考えたときに、自分には培ってきたもの、何かがすごく足りないな、と感じていて、このまま保育を続けていてもな、と思っていました。そのときたまたま旅行した十日町で、地元の方々が自然と共に暮らしを丁寧にされている様子を間近で見て、これだ、と。自分もこの場に身を置いて、暮らしというものをもっと知っていきたいな、というのがきっかけで移住しました。その中で、木工も好きだったのでやってみたりしながら、木に触れる機会が増えていきました。
――新潟に移住されて初めて住まれたのは。
(森)津南町ですね。
――津南町での暮らしで気付いたことはありましたか。
(森)自分が住んでいた集落に里山があるのですが、当時、60~70代の方々のおじいさんの代が孫のためを思って、スギなどを植えたのだけれども、今はもうじゃまでしかないんだよ、と地元の方々が仰っていて。よかれと思って植えてくれたけれど、木を切り出すにしても赤字になるばっかりでどうしようもなくて、ただあるだけ、じゃまになるばかり、という話を聞いて、単純にもったいないな、なぜそんなことが起きているんだろう、もっとうまく使えればいいのにな、森の循環はすごく難しいテーマだけれどもっとうまいこといかないものなのかな、と疑問に思ったところから、そういうことに関わっていきたいな、と思いました。
――今は木工作家として森の循環の回し役になられていますが、作家として大切にされていること、MORRY GO ROUNDで活動を共にし始めてからの発見を教えてください。
(森)カトラリーをメインに作っているのですが、舌触りがよいことを一番大切にしていて、口に入れたときにスプーンがおいしいと思えるくらいのものを作ろうと思っています。MORRY GO ROUND’25で初めて出店させていただいたのですが、他の方々は常連のお客さんがいて、その人に会いに行く、という姿がとてもすてきだなと感じたので、この人から買いたいと思ってもらえるようになりたいですね。
――森さんは昨年10月の出店前からMORRY GO ROUNDの存在をご存じだった、ということでした。実はMORRY GO ROUND、昨年10月の前にもイベントを開催されているんですよね。
(中川)2024年4月に直江津の無印良品で初めてMORRY GO ROUNDの展示をしました。初めて10軒くらいの家具工房が集まって、1工房1脚は椅子を県産広葉樹で作ってみよう、そしてそれを並べてみるイベントをしよう、と。そのときについた名前が「MORRY GO ROUND」です。森が回る、森が循環するというダジャレではありますが、うまいネーミングだな、と。名前も決まり、イベント内容を考える中で、椅子を10脚展示するだけではコンテンツとして弱いと思いました。家具工房だけの力だけでは小さいですが、いろいろな人に声を掛けて力を貸してもらって強く、大きくしようという作戦です。そこで「今度みんなで山に遠足に行こうよ」と声を掛けたのが、カレー屋さんやアイスクリーム屋さん、ジュースを作っている人、コーヒー屋さん、そしてデザイナーさんです。イベントをしたいけれど家具工房だけで椅子を展示していても弱いからできれば出店していただきたい、でも出店して終わりではなくて、みんなで遠足に行ったりしながらするのがいいなと思ってのお声がけです。山に遠足に行ったところ、ブナの下に生えていたクロモジを見つけてクロモジフレーバーのアイスを作りましょうか、とか、ジビエのカレーにしようか、とか、森をイメージしたコーヒーの焙煎にしようか、とか、いろいろとアイディアを出してくれて、しかもオリジナルのラベルを作って出店してくれたんですよね。そういったフードの出店があることで、MORRY GO ROUND関係なく来てくれたお子さん連れも楽しめるし、とにかく「ついでに椅子がある」という状況を作ることができる。県産材を使っています、チャレンジしている、といったことはともかく、とにかくなんか楽しいね、おしゃれだね、いいね、と、来る人も一緒にやる人も楽しくできるイベントをめざして開催しました。
無印良品でのイベントの様子を見ていてくださった無印良品の方が、おもしろいね、これが1日で終わるのはもったいないよね、ということで、約半年後の8月には、新潟県主催で株式会社良品計画さんが実施・運営を受託された銀座にある新潟県のアンテナショップ THE NIIGATAのこけら落としイベント「NIIGATA to GO」に出店しました。
では次、これからどうしようかと考えたところ、MORRY GO ROUNDという名前をつけたからにはメリーゴーランドを作りたい、県産広葉樹でメリーゴーランドを作ったら、家具が目当てでなくても、木工産業の課題や森林の問題を知らなくても、いろんな人が楽しめるのではないかというイメージだけがありました。そこでまた、メリーゴーランドだけでは弱いと思い、山本さんにお声がけしました。
――山本さん、お声がけを受けたときの率直な感想は。
(山本)すごくワクワクしました。中川さんと初めてお会いしたのは、2024年12月に私が企画した演劇公演があったんです。その際に、おしゃれないい椅子を使いたい、という流れになり、MORRY GO ROUND’25で上演した『山彦のバッティングフォーム』にも出演いただいた方から、いい工房があるぞ、いい椅子が展示してあるぞ、と紹介いただいて。2024年9月、10月くらいにISANAの工房に椅子をお借りしに行ったときに初めて中川さんとお会いしました。
(中川)私は、椅子を借りに来られたときに山本さんにオファーしました。
――中川さんは、山本さんがどのような作品を作られる方なのかご存じない状態でオファーされたのですね。
(中川)どんな作品を作られる方かは知らなかったですね。山本さんと中央ヤマモダンはリンクしていなかったのですが、中央ヤマモダンという名前は10年以上前から知っていました。私はタイミングと勘を大切にしているのですが、メリーゴーランドに音楽や演劇があるといいよねとちょうど考えていたときに、山本さんがいらっしゃったので、「あ、来た!」と。中央ヤマモダン、21年活動されているとのことですが、ずっと同じ屋号でやっているのはすごいことだと思うんですよね。個人事業主としても長く続けることの難しさは感じているし、続けることはしんどい面もあるので、ずっと続けているということは何かしらの志がないと続けられない。新潟県産広葉樹で作ったメリーゴーランドだから、新潟の人が演じるものがいい、と思い、山本さんだな、と。そこで、「東京とか進出したいですか」と、聞いたんです。そうしたら「行きたいです」と。
(山本)あわよくば、と。
(中川)じゃあ、この人だ、と。「東京に行きたい」というのは比喩ですが、演劇人、劇団として売れたいということだと思っていて。新潟で楽しくやれればいいというのであれば、その人がそこで止めているからその先はないな、だとしたらMORRY GO ROUNDの企画はもったいない、と。MORRY GO ROUNDはもっと楽しくなりそう、もっとすごい景色が見られるようなイベントになるのではないかと考えていたので、演劇に対しての姿勢、野心がある方がいいな、と思って頼みましたね。
――オファー時には山本さんにお伝えしたテーマはあったのですか。
(中川)ないですね。基本的に、私が演劇に関して何か言う立場ではないので、メリーゴーランドを使って演劇をしてほしい、だけですね。
――それをふまえて山本さんは作品を作られた。
(山本)そうですね。お声掛けいただいたとき、自分でも、いい人選だな、と思いましたね。どこでやるかわからないし、メリーゴーランドという条件でやってくれというある意味過酷な条件ですよね。私はちょっと変わった所でやることが多かったので、やる気が出ました。
――先日もブックカフェで公演を開催されていましたよね。演劇というと、劇場空間で上演するというのが定番のように考えられますが、劇場空間での上演と、そうでない場所での上演の違い、作り方やテーマ設定の仕方などを教えていただけますか。
(山本)私たちの場合はコント集団として活動しています。私はお笑いのコントが好きで、ラーメンズやバナナマン、おぎやはぎといった方々が、劇場を借りてシンプルな舞台でオムニバスコントをやっているのを見て育ってきました。いざ中央ヤマモダンを結成して、最初は小劇場ですが劇場でやっていましたが、笑いと劇場の相性が合わないんじゃないかな、と思って。劇場でやる場合、照明が、音響が、大道具が、と考えることがいっぱいあるんですよね。それぞれにプロの方々がいて、その方々と関わりながら早めに決めていく必要があります。ただコントを作るときは、けっこう細かい神経質な作業が多いです。間や言い方、トーンといったミクロな視点と、全体を見渡す視点の両立が私はできなくて。そこで自ら劇場から離れていって、少し広いカフェやギャラリーで、電気も壁のスイッチでついた・消えただけ、音楽もコンポを持って行って流すだけ、という方が作品に集中できるな、と思ってだんだん裏街道を進んで行った感じですね。
――MORRY GO ROUND’25は、大かまという広い場所でした。カフェやギャラリーのようなコンパクトな会場でのコントを作っていくこととはまた違う大変さがあったと思います。『山彦のバッティングフォーム』、どのように作っていかれたのでしょうか。
(山本)中川さんは、メリーゴーランドさえ使ってくれればなんでもいい、内容も絡ませなくてもいいし、と言ってくださっていました。ただ私は、せっかくやるのであればMORRY GO ROUNDの内容に合ったものにしたいし、かといって説教くさくはしたくないし、自分の持ち味であるお笑いもちゃんとやりたいし、と、コメディで内容は森林問題も入れたものにしようと考え始めました。ネットで森林問題をかなり調べて、それを落とし込んで物語にしたのですが、初稿を中川さんに見せたときにけっこうダメ出しを。
(中川)コントについて一切ダメ出しはないですが、事実ではあるけれども誰かが傷ついてしまう可能性があることですね。例えば、森林問題をネットで調べると、何かが悪者でこうした方がいい、と出てきます。そうなんだけれども、それで生計を立てている方、その立ち位置で林業の仕事をされている方もいらっしゃるので、正論をバッと言うのが良いわけでもないのですごく難しいな、と。山本さんの内容は合っているけれど、このままだと誰かが嫌な気持ちになったら嫌だなと思い、この部分はグレーで、とか、ここはそうとも言い切れない、というのが増えてしまいましたね。そうなると、本編の物語の進み具合も変えていかないといけなくなるんですよね。そこはすごく山本さんは大変だったと思います。
(山本)メリーゴーランドを使わないといけない、とか、善悪を少しぼかして、といった制約があった方が考える取っ掛かりがあるので、私はありがたかったですね。
(中川)山本さんはその場で修正していくんですよ。これだけたくさん赤を入れたので持ち帰るのかな、と思っていたのですが、山本さんは今やろう、と。このバージョンだとどうだろう、とか、これだといいかも、でもここが、とやりとりしながら、落としどころを探っていきました。脚本を作るというのを間近で見られて楽しかったです。
――脚本ができあがっていく様子はなかなか見られないですからね。では、できあがった『山彦のバッティングフォーム』のあらすじをご紹介いただけますか。
(山本)では最初にSNSに投稿したあらすじをご紹介しますね。
「やっほー!」「……」あるときからやまびこが返ってこなくなった山。醍醐味も奪われ登山客は減少。村の収益は厳しくなる。都会で働くカエデはSNSでこのことを知り驚く。「昔の恋人が暮らしている村だ!」。カエデは昔の恋人、山彦のもとへ向かう!
というあらすじですが、もう少しネタバレをしない程度に踏み込んでみますね。
この舞台となる村では代々やまびこを人が金属バットで打ち返して発生させていました。山に山彦君がいて、登山客が「やっほー」と言うと、山彦君がそれをカキーンと打ち返して「やっほー」と聞こえる。ただ山彦君があるときからスランプでやまびこを打ち返せなくなってしまい、登山客が減ってしまいました。それをSNSで知ったカエデが山彦君を救いに行くのですが、村に着いて森の中を散策していると、村に唯一あった和食チェーン店の場所が木製メリーゴーランドに変わっていた、というストーリーです。
――森さんは出店もあり、当日はしっかりご覧いただけなかったそうですが、『山彦のバッティングフォーム』ができるまでのお話とストーリーをお聞きになってどうですか。
(森)山のことを演劇にするのは難しいと思うのですが、おもしろいですよね。演劇は、見ておもしろい・楽しい、とその場で終わることもありますが、後からそのときの記憶として演劇の様子を思い返すのと一緒に山のことを考えられるというのが、演劇ならではだな、と思います。私のお店がメリーゴーランドの後ろにあったので、公演を正面から見ることができなかったのですが、「やっほー」という声とかはすごく覚えていて、今でも思い出せるんですよね。そういうことがリンクして、後からでも記憶の中で思い出して、山のことを考えられるっていいな、と思いました。
――今、森さんの言葉を聞いて嬉しくなりました。山本さん、今回のテーマは今までにないものだったのかな、と思いますが、今回の取り組みを通して広がったと感じることや、コントだからできたな、と考えるポイントを教えてください。
(山本)先ほどご紹介したあらすじのその後の展開は、山彦君が打てなくなったスランプの原因になったのが、中川さんからはNGワード、繊細な言葉と言われた「間伐」です。森が放置されたことで、やまびこの球筋が読みづらくなって、振り遅れるようになって打てなくなった、ということです。森をきれいに手入れして、手入れした木でメリーゴーランドを作るのはすてきだよね、というお話にしていきました。おそらく、これをそのまま言ってしまうと説教くさくなるというか、教科書みたいになってしまうと思うのですが、金属バットでやまびこを打ち返すというファンタジーの要素を入れることで、子どもが見ても視覚的にも楽しめるし、よく考えると残るものがあるという、コメディはいいツールだなと思いながらやっていました。

[左写真:10/17 MORRY GO ROUND’25『山彦のバッティングフォーム』上演の様子]
――中川さん、森林を知らない人に伝える難しさ、コント作品を通して伝える難しさもあったかと思います。形になったものをご覧になって、コントを通したからこそ伝えられたな、と感じられた点はありますか。
(中川)「間伐」がNGワード、というお話がでましたが、「間伐」がNGワードなのは、間伐の林業がいいと思っている人たちと、それは違うよねと思っている人たちなど、いろいろいらっしゃる。みんなそれぞれの正義や信条があるので難しいな、と。私は家具のことはわかるけれど、その前の森ことは全然わからないから断定的なことは言えない、ということもあります。最終的には『山彦のバッティングフォーム』の主人公を家具職人に変えてくれたんですよ。
(山本)もともとは林業関係者だったのを家具職人に変えましたね。
(中川)家具職人が思う林業の形が本編に出てきて、手入れした木材でメリーゴーランドができて、全国各地でメリーゴーランドができていきました、というお話です。
(山本)そして山彦君はアメリカの山に行って、山彦君の妹が山を継ぐ、という。
(中川)こんな感じで、最終的に笑っちゃう。そんなことは林業の世界ではないですよ。林業だけでやっていると、とてもシリアスな社会問題だからみなさん真面目にシンポジウムなどをされています。それもいいのですが、それを軽く飛び越えられるというか、本質をちゃんと入れ込んだ中で、ポンと飛んで、みんなが「楽しい」とできるのは、演劇、コントのすごさだとすごく思いました。
私は、森林問題、社会問題をやってと山本さんには言っていなくて、むしろ山本さんがやりたいことで山本さんが売れていくことの土台、踏み台にしてもらえたらいいなと思ってお願いしました。でも、寄せていった方が作りやすいからと作ってくださって、できてきた台本を読んでいると、「これ僕じゃん」と思ったりもして。恥ずかしいのと嬉しいのとすごいな、と。当日は、会場が広かったので、声が伝わりにくかったという音響問題などもあり、主催者としてはとても悔しさ、もう少しやりようがあったなと思っているので、再演などリベンジの機会を設けたいですね。実は、MORRY GO ROUND’25の2日間のうちで、『山彦のバッティングフォーム』のときが来場者数ピークだったんですよ。いろんな要素が絡み合っていると思いますが、ものすごい人だったので、 よりちゃんと伝わる形でリベンジしたいですね。
――最後にお一人ずつ、MORRY GO ROUND’25の取り組みから見据える今後の展開、期待をお聞かせください。
(森)今までは、商品を前に出したこともなければ、籠って雪に埋もれながら作るように一人でやっていました。でも、MORRY GO ROUNDの仲間に入れてもらって、背中を押してもらって、最初は自信がなかったのですが、一歩外に出てみたらいろんな人とつながることができました。最初は、木工作品の創作とは別に、森林の循環に対して考えていました。森林の課題をどうにかしたいけれどどうしたらいいかわからない、それこそ真面目に一人でただどうしたらいいんだろう、私に何ができるかなと考えていましたが、違うジャンルの方々と手をつないだり、みんなで楽しく取り組むことが、森林の循環を考えるときの楽しさにもなるし、MORRY GO ROUNDとしても、木工作家としても今後もわくわくしながら考えていきたいです。
(山本)今回の『山彦のバッティングフォーム』は自信作で、何回もやらないともったいないな、と。先ほど中川さんから、演劇の時間帯がすごくにぎわっていたというお話がありましたが、演劇というジャンルが人をひきつける力があると思いましたが、逆に言うと弱さもある。今回の大かまのように平たい場所で演じたときに、声の問題や、見えにくさという問題が出てくる。私は、劇場がわからない人間なので、舞台の専門家などを外部から入れたりすれば、もう少しいい感じでやれたのかなと思うので、今後に活かしていきたいですね。
(中川)今回のMORRY GO ROUND’25、みなさんに助けてもらってできました。これでいいのかな、大丈夫かな、ということもたくさんあって、へこんだりするんです。このトークの場では威勢のいいことを言っていますが、どうしようかな、できるかなと迷ったり、やっぱりやめようかな、このイベントをやったとて、森林問題が解決するとは到底思えないし、意味ないのかな、と、しんどいときに思うこともあります。でも、メンバーが連絡をくれたり、話を聞いてくれたりすることが要所要所であって、なんとか明日も頑張ろう、一週間頑張れそうと、なんとかたどり着いたという面もあります。林業関係、木工関係ではない方々から、MORRY GO ROUNDなんかおもしろそうだよねと言ってもらえる人の数が増えると、何か違うところに行けるような気がします。他にも魅力的なメンバーがいますので、ぜひこれからもMORRY GO ROUNDを追っかけてほしいです。

(1)中川さんと山本さんはもともと知り合いではないとのことですが、なぜMORRY GO ROUNDへのオファーとそれを受けるまでに至ったのでしょうか。
(中川)知り合いではないですね。山本さんとはMORRY GO ROUNDとは別件で椅子をISANAに借りにきて、というだけです。
(山本)なにより中川さんの人柄がひきつけるんですよね。断れないというか、断りたくない、という感じです。
(森)中川さんのコミュニケーション能力がすごいですよね。
(2)海外からの材料が安いと思いますが、県産広葉樹や国産広葉樹は今後経済的に利用していくことができる見通しなのでしょうか。
(中川)コロナ前まではすごく逆風でした。ですが、コロナ禍以降原油高などで外材が高騰している現状があり、家具業界が国産材に回帰しているという流れは少し追い風ですね。今は外材を使っているところがあまりなくて、私も仕入れているブラックウォールナットやアメリカンブラックチェリーなどは少し前の2~4倍の値段になってきているので、国産材に回帰しています。なので、この取り組みは時流に乗っていると思います。今回お話していた県産材は「地域材」というのですが、全国的にも地域材を活用しようという動きがあります。その動きの一つとしてサミットが開催され、その際に登壇したことをきっかけに福島県の木工所の方との出会いもあり、今日のトークにも来てくださいました。福島県は阿賀野川水系、長野県は千曲川から信濃川なので、行政区としては分かれていますが、森としては一緒ですよね。
>そうですね、福島県でも森や広葉樹があるところは雪国なので、新潟の気候ともすごく近しいです。
(中川)きっと何かヒントがあるのではないかと思って今回来てくださったのだと思います。全国でこのような方々がいて、横のつながりで頑張れている。新潟だけでやっているとうまくいかないと沈んでしまうこともありますが、他の県でもやっている仲間同士で話をしながら少しずつ、できるところから進んでいく。その進みが楽しければなおいいですよね。
(3)山村や農村再生のテレビ番組がありますが、新潟でもそのようなことに取り組める地域があるのでしょうか。また、家具を作りたい、という方の弟子入りは誰でも受け入れますか。
(中川)新潟でも、農村に関する取り組みをされている方々がいらっしゃるようですね。素人の方からの弟子入りや雇用は、小さい家具工房は特に難しいです。
(4)演劇やコントをされている方のキャリアが多様になっていますが、なぜでしょうか。
(山本)自分の場合は仕事をしながら取り組んでいます。趣味を楽しく続けるには、やはり仕事をしながらというのが大切だと思いますね。
(5)スプーンにニスは使えないと思いますが、どのように作られていますか。1か月にどれくらい作りますか。
(森)ニスは使っていません。口に入れるものなので、害のないものを使っています。土日に少しずつ作っているので1か月に数本ですね。今は、たくさんつくるのが目標です。
