【事業アーカイブ】3/6 語りの場 vol.35「障がいのある人の表現活動調査 これまでとこれから」

  • 投稿日:
    2024.03.27(水)
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    ゲスト
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    事業レポート
  • ジャンル:
    美術
文化・芸術の分野で活動する方々をゲストとしてお招きする、トークシリーズ「語りの場」。市民のみなさんが新たな視点や価値観と出会い、知り(学び)、自らの活動を広げていくことで、魅力あふれる活動が、まちに根付いていくことをめざしています。
語りの場vol.35「障がいのある人の表現活動調査 これまでとこれから」
開催日:令和6年3月6日(水)18:00-19:30
会 場:ゆいぽーと(新潟市芸術創造村・国際青少年センター)
    1階工房・ギャラリー
ゲスト:前山 裕司(新潟市美術館 特任館長)
    小林 誉尚(社会福祉法人とよさか福祉会 クローバー)
    吉川 遼郁(新潟市 文化スポーツ部 文化政策課(文化創造推進室))
協 力:新潟市
新潟市では、障がいがある人を対象にした「表現活動調査」という事業が展開されており、アーツカウンシル新潟も協力として関わっています。調査の成果展である、展覧会「あふれる思い ふれる気持ち」の開催に合わせ、3名のゲストをお迎えしました。

この展覧会の監修を務める、新潟市美術館 特任館長の前山裕司さん。新潟市北区の障害者福祉事業所「クローバー」で、表現の現場に携わる小林誉尚さん。新潟市文化スポーツ部文化政策課で「文化芸術による共生社会推進事業」を担当する吉川遼郁さん。「あふれる思い ふれる気持ち」展の会場内、作品の目の前でお話を伺いました。(背景は中林莉菜さんによる作品)

なぜ、障がいのある人の創作活動に焦点を当てる必要があるのか。作品を発掘していくことで、どんなことが起こるのか。異なる立場のゲストたちの目線が交差する先に、何が見えてくるのでしょうか。
(聞き手:アーツカウンシル新潟 プログラムオフィサー 根木一子)
新潟市の「表現活動調査」とは? -事業担当者の目線-

――新潟市の「表現活動調査」にさまざまな立場で関わっておられる3名をゲストにお呼びしました。まず、「表現活動調査」について、事業担当の吉川さんから説明していただけますか。
(吉川)この調査は令和2年度から行っています。市内の障がいのある方から作品を募集し、その中から選ばれた作品を展覧会で紹介するというものです。対象としている作品は、平面・立体、ジャンルも絞らず広く募集していまして、一見作品に見えないようなものでも対象となります。10名程度のアーティストの方の作品を展示しています。

 

――吉川さんは新卒で、入庁1年目でこの事業を担当されて、大変なこともあったと思います。どんな感想を持ちましたか?素直な気持ちを聞かせてください。

(吉川) 自分自身はアートに全く関わってきていない人生で、 とても不器用なので、苦手意識があったんですよね。障がいのある方と接する機会も今まで無かったですし、社会人というのも未知の領域で、未知の部分が重なってすごく不安でした。


――
それは不安を感じますよね。実際に事業が始まってみて、アートに対してなど、イメージが変わったことがあれば教えてください。

(吉川)アートっていうものを、すごく高尚なものというか「上手くやらないといけない」とか「凄みがないといけない」みたいに考えていた部分がありました。前山館長のお話も聞いて、本当は誰でもやって良いものだし、どんなものでも「誰かによく見えればそれは良いものなんだな」という風に意識を変えられたのが、特に良かった部分なのかなと思います。


――
いろいろな障害者福祉施設に行ったと思いますが、何か感じたことはありましたか?

(吉川)一番長い時間を施設で過ごしたのは、作品の制作過程を動画に撮らせていただく時だったと思います。そこで感じたのが、一人ひとりの描き方は全然違うけれど、絵に対する熱意は皆同じだったりとか、作品の題材に対する「好き」という気持ちや意思を感じることがあったので、あまりお話はできなくても伝わるものがあるんだなと思いました。

調査をするのは何のため? -監修者の目線-

――この「表現活動調査」が始まったのは、コロナ禍にどんな事業ができるのか迷っていた時期に、障害者アートに長く関わっておられる前山さんに話を聞いたことがきっかけでしたね。

(前山)新潟市に来る前は埼玉県立近代美術館に数十年おりまして、その時に頼まれて「埼玉県障害者アートフェスティバル実行委員会」の実行委員になりました。そこで埼玉県がやっていたことがまさに「表現活動状況調査」だったんですね。県単位で規模も大きいので、集まる作品数も半端ないです。平均で毎年、500~600点来る。美術館の学芸員としては、これを保存すれば10年、20年、30年後にすごい資料になると思いましたね。


――作品調査や展示をすることに、どんなメリットがあると考えていますか?

(前山)新しい発見があることがすごく良いことで、 埼玉では10年以上やっていますが、毎年見たこともない作家の作品が出てくるんですよ。それが一番大きいです。
あと、施設間のネットワークづくりにつながります。皆さん「これ出してもいいのかな?こんなのも作品なのかな?」と思っているわけだけど、展覧会を見た時に「これもいいんだ」「これも作品なんだ」と思ってくれる人がいて、そうすると翌年出してみようかなという広がりが出てくる。これは新潟でも絶対にやった方がいい、 チャンスがあればやりたいなと思っていました。

障がいのある人の表現の現場ってどんなところ? -施設職員の目線-

――クローバーの小林さんにお話を聞こうと思います。クローバーさんはこの調査に毎年作品を出していただいていて、たまたまですが、毎年どなたか一人は出展作家に選ばれています。そもそもクローバーさんはどんな事業所なんでしょうか?
(小林)私たち、とよさか福祉会クローバーは、日中活動事業所をメインのサービスとして行っています。主に就労系のサービスの事業所が3つ、生活介護とか就職を支援するサービス、グループホーム、相談の事業など、多角的にやっています。私の立場としては、3つの日中事業所のうち2つの事業所の管理者をやっています。

 

――施設のなかで”アートの時間”など決まった時間を設けていたりするんでしょうか?

(小林)利用しているサービスの違いがあるので難しいところですが、 働くことをメインにしている方に関しては、商品化に向けたアートの制作の時間があります。もう一つ、生活介護という、日中働くことはあんまり好きじゃないなという方たちもいます。そういう方たちは、内にあるものを表現する手法として、ものを描いたりする時間を半日ほど設けて活動しています。


――アート活動を支援に取り入れたきっかけは何だったんでしょうか?

(小林)平成30年に報酬改定といって、支援費の改定があったんですよね。その時に、就労継続支援B型が、 稼ぎ出している工賃によって支援費が変わりますという制度になったんですね。ただ、一緒に働いてるメンバーの中にも、働きたくない人もいるんですよ。そうすると、平均の工賃を出す時に、働きたくないメンバーも入れて計算しないといけないので、平均値が下がってしまう。これはまずいなというのが、実はきっかけなんですよね。働きたくない人に「働きなさい」と言って拒否されたり、そんな大変な時だったんです。そんななか、メンバーに絵を描いてもらったら、私たちが今まで知らなかったようなことが出てきた。この人こんなふうに思ってたんだとか、作り出してくれるものによって、その人の内にあるものが表出してきた。それが、働くとか作業活動以外に取り組んだことで発見できたんですよね。


――今は全国的にも色々な施設や個人の方が、活発に表現活動やアート活動をされていると思いますが、クローバーさんがアート活動を始めたとき、支援員やご家族の反応はどうでしたか。スムーズに受け入れられたのでしょうか。

(小林)一番反対されたのはご家族でしたね。高校を卒業して施設に入る、それが働くことだと考えていたのに「なんで赤ちゃん返りさせるんですか」と。つまり、絵を描くという、保育園とか小さい頃にやってきたような活動を提供するというのは、どういうことなんですかという意味ですよね。
職員ともぶつかることがありました。それでも、絵を描いて見せてくれたのを職員が「すごいね」と褒めることが、会話のきっかけになったりする場面を目の当たりにしていたので、それを熱心にご家族に伝えていきました。ただ、その時はまだ発信のすべは持っていなかったので、作品が施設内に溜まっていく一方…これどうしよう?みたいな状況でした。


――障がいがある人の作品の発表の機会も増えていますが、そういった手段はどのように見つけてくるんですか?

(小林)作品が溜まる一方だけど、 ご家族に納得してもらいたいし、活動の意味や価値をどうしたら伝えられるかなと考えていて。そこで、コーヒーのドリップバッグのパッケージにアートを使ってみた時に、ご家族は大きく変わりました。あんなに反対してたのに、一番の営業マンに変わったんです。他にも発信する方法がないかなと悩んでいるときに、表現活動調査が始まったので応募したんだと思います。

左から、吉川遼郁さん、前山裕司さん、小林誉尚さん、司会の根木。
作品の評価とは? “良い作品”ってなに? 

――毎年展示作家を選んでいる前山さんにお伺いしたいのですが、ずばり、どのような作品が選ばれるのでしょう?毎年出しているけどなかなか選ばれない…なんでだろう?どんな作品が良いと思われるのかな?と思っている方もいると思うんです。

(前山)難しいんですよ、答えにくいですね(笑)展示する時のことを考えるんですよね。だから、同じタイプの作品がたくさんあっても困る。カラフルなものも欲しいな、立体物も欲しいなとか、学芸員としての性(さが)じゃないけど、やっぱり展覧会を楽しんでもらいたいというのがまずあります。私は調査票を見た時にはほぼ第1印象で決めちゃうんです。簡単に言うと「これかわいいね」という感覚ですね。「選ぶ」という行為には、個人が出ないといけないと思ってるんですよ。ちょっと独断的なところもあるけど「私がこの作家のこと大好きだから」という選び方が、展覧会としては正しい気がしています。

 

――選ばれるときに、どんな障がいがあるかは気にされますか?障がいがある人の作品には、いわゆる障害特性といったものが表れてくる場合も多いと思うのですが。

(前山)気にしないですね。昔はお客さんから「この人はどういう障害を持っているんですか?」と聞かれることも多かったんですよ。「知りません」って答えてました。だって本当に知らないから。こういう障害を持っているから選んでいるわけじゃないし、そういう見方をしてほしくないというのもあるけど、「だって面白いでしょ?」って思ってます。選定のとき、障害のことはほとんど言わないし、解説にも書かない。視覚障害の人だけは書いたことがありますけど。

 

――障害のことは気にしない。とはいえ、障がいがある方の作品展に多く関わっていらっしゃるのは、障がいのある方の作品独自の良さがあると感じられているからなのでしょうか。少し表現が難しいですが、いわゆる健常の作家との違いみたいなものはあると思いますか?

(前山)たとえば行政の偉い方の人たちとかが、最初に作品を見て「独特な表現ですね」「独特な良さがありますね」ってよく言うんですよ。要は、わかってないんですよ、良さが。その人たちの頭の中では“綺麗な絵”とか“上手い絵”が一番良いわけ。

 

――先ほど吉川さんがおっしゃっていたようなアートのイメージですよね。器用な人が上手に描くという…

(前山)そう。でも私は綺麗に描かれている、上手く描かれているものにあまり魅力を感じないタイプなので。現代美術寄りの人間なので、変なものが大好き。そういう意味では、健常と障害との区別は全くないですね。

 

――区別はないけれども、それでもこの分野に魅力を感じている、というところがあるんですよね。

(前山)アウトサイダーアートという言い方がありますけど、最初この言葉についての反発は福祉施設側の方が多かったんです。アウトサイド=外れた、という感じで良くないと。でも私からすると、画壇が中心だった時代には、現代美術って完全にアウトサイダーだった。要するに、そもそも外れた側の人間だから、アウトサイダー自体悪いと思っていないんです。椹木野衣さんの『アウトサイダー・アート入門』という本に「アウトサイダーしか面白いものなんかない」って感じで書いてあったんですけど。そういうところにこそ、面白いものがある。
調査で、毎年見たことのないものが出てくるのが、たまらないんですよ。私はよく「ゴミのような作品が出てくるね」っていう褒め言葉を使っているんだけど。どういうことかというと、本当に施設の人や親御さんがゴミ箱に捨てたものの中から出てくるんですよ。埼玉県の審査会で印象的だったのが、新聞紙にポツポツと穴が空いている作品があったんだけど、施設の人が「これは四角い漢字にだけ穴を空けているんですよ」と教えてくれたら皆おーって驚いて。そういう突拍子のないものに出会えるのは、やっぱりすごく嬉しい。

 

――新潟の調査も毎年作品数も増えてきて、絵画だけではなくて立体とかシールの作品とか、色々なものが出てきましたよね。
ここで小林さんにお伺いしたいのですが、クローバーさんの作品はいつも(支持体が)多彩で、毎年違ったものが出てくるんですよね。3Dプリンターを使ったり、端材だったり。そのアイデアみたいなものは、どこから生まれているんでしょうか。

(小林)前山さんの話にもありましたけど、完成度が高いものが良い作品だという感覚は私にも無くて。「リンゴは赤に塗らないとダメじゃないか」ではなく「青に塗ってもいいと思う」というような、そういう感覚をまずは職員の皆で持っていこうとスタートしました。そこでアドバイスをくれたのがアーツカウンシル新潟の方でした。その人の何かを引き出すのではなくて、環境を整えてあげるだけでいいんだよって言われた時に、本当に目から鱗でした。就労支援をやっていると、何かをできるようになってほしい、その人の力を引き出してあげなきゃいけないという視点を持ちがちですが、新しい感覚を教えてもらって、じゃあなんでもいいじゃん!と。3Dプリンタ買ったよね、じゃあそれでやってみよう。コーヒーの事業を始めたから、コーヒーに関するグッズもいいんじゃない?とか。
コーヒーのお店を作るときに出た木材の廃材とか、コロナが無くなって使わなくなったアクリル版とか、まさにゴミって言われていたものを使いました。本当に捨てられるはずだったのに、利用者さんたちが描いてくれて価値あるものになった瞬間があって。そういうところは、すごくドキッとしますね。画材について常に考えているというよりは、その時々のトレンドとか、これに描いたら面白いかもねみたいな。そういうノリでやってます。

 

――ノリっていいですね。今話題にあがったクローバーさんのカフェ「Donbass Coffee Roasters」の店内にも作品がたくさん飾られていますよね。

(小林)そうですね、自分たちが運営するカフェも発信の場として使えるなと思ったので、そういう仕立てもしています。

障害者アートのリアルと今後。分けることって本当に必要?

――障がいのある人が創作活動をする背景はさまざまありますよね。絵なんて描かないと言っていた人が、他の方の作品に影響されて描き始めるなども聞いたことがあります。

(前山)障がいのあるアーティストは純粋で…とか言われることが多いけど、そんなことないですよって施設の人が言ってたんですよ。たとえば、海外でも知られた有名な作家さんに「最近選ばれないから悲しい」って言われたことがあって。普通の人と一緒ですよって職員の方も言ってましたね。

”自発性”みたいなこともよく言うじゃないですか。でも施設によっても違って、今は絵を描く時間だから描きましょうねって言って席に着かないと描かない人もいる。施設では全然やらないで、家でしか描かない人もいるし。だから、一様に“障がいのあるアーティスト”って括れない。皆違うってことですよね、結局。

― そうですね、確かにそういった思い込みがありますね。少し難しい話になりますが、“障害者アート”とか、そういった言葉についてお考えを聞かせてください。そういうジャンル分けは今後どうなっていくと良いと思いますか?

(前山)障害者アートって言葉が良いと思っている人は一人もいないと思う。皆無くなったらいいなと思ってる。でも今は必要だねっていうのが多分共通した考え方で、理由は色々あるけど、すごく現実的な話だと助成金が取れること。障がいのある人の表現の枠があるので、そこに申請できる利点もあるじゃないですか。ただのアートといって一般化しちゃうと、そういうものが無くなっちゃうから、有効なワードなんだろうなと思っています。


――法律や自治体の計画などが策定されて、かなりの額の助成金があるわけですけど、それが無くなったら活動が立ち行かなくなるところもありますよね。施設の立場として、小林さんはどうですか?

(小林)今の話を聞いていて、クローズアップしてもらうためには必要なんだなと改めて思いました。でも、やっぱり活動していると「いるのかな?」という疑問は生じます。この活動をどうやって導入したら良いか考えていた時期に、アーツカウンシル新潟の方に言われたのは「傑作の確率は皆一緒です」ということ。障害者の方も健常者の方も、 誰もが傑作を作れるわけじゃなくて、その確率は同じですよ。障害者のアートだからすごいとか頑張ろうではなくて、力を抜いて自由にやってもらえばいいんだよ、その中からたまたま出てくるからって。そう伝えてもらって本当に力が抜けたんです。
こうやって行政の方が考えてくれて注目してもらうことで、元気になっている利用者の方もたくさんいるので、ありがたいなと思います。ただ、その流れのなかで、そこの差って後々無くなるのかなと。疑問にぶち当たってる時が結構あるなって最近思っています。

(前山)音楽の世界で障害者ってあんまり言わないじゃないですか。昔から視覚障害のピアニストっていっぱいいるわけですよ。音を聞いてるだけでは全然わからないけど、実はそうなのかって後でわかるみたいな感じ。そういうふうに溶け込んでいくかわからないけど、少なくとも美術館の展示では、障害者と健常者が一緒に出てる展示は、今だいぶ増えてきている。一人のアーティストとして出てくるのは、今では珍しくなくなってきてますよね。

質疑応答

①  眼鏡やコンタクトのように誰もが身体拡張を必要としているのであれば、障がいがある人とない人で区別するべきなのか、すべて包含してアーティストとして観るのがフェアなのではないかとも、個人的に感じています。健常者や障害者、ピュアなアートのあり方について、どのようにお考えですか?

(前山)現代美術の世界だと、その作家がどんな人だろうがあんまり関係ないんです。でも、障がいのあるアーティストの場合は、その作者の生活や人生を引き受けちゃう。施設の支援員さんから「この人は全く何もできなかったのに、ようやく描いたんですよ。」みたいな話を聞くと、 線が何本かあるだけなのにものすごい感動しちゃうんですよ。公平じゃないかもしれないけど、そういうことを考えながら観るのは、実はいいところかなとも、ちょっと思うんです。家族の中で居場所のなかった人が、展覧会に出したことで家族からの見え方が変わったとか、展覧会のオープニングに来るために初めて新幹線乗りましたっていうのも、やっぱりそれは嬉しいし。そこは否定しない方が良い。良いことだから、楽しいことだからいいよって思ってます。

(小林)この活動のなかで、コミュニケーションや表現することが苦手だった人が、絵を描いて初めてその人の内なるものを表現した時に、めちゃくちゃ感動したんですよね。この方は口で物を伝えるのは苦手だけど、こうやって表現するのはすごく得意だったんだなということに気づいて、すごいなって。実際、絵を描いてくれたことを褒めたことをきっかけに、今度は口で表現することを徐々に始めた方もいます。そういうことに触れていると、職員自身も感動する場面が多いです。障害者って言葉ってどうなのとも難しく考えたりもしますけど、楽しいとか、面白いじゃんとか、本当にそういうところを原動力にしていますね。

 

➁ 会場に展示されている作品を見て、額が少ないのがすごく嬉しい。自分もアート活動をしているが、展示の際に額に入れることをよく求められる。でも額はとても高いし、キャンバスの側面を見てもらいたいと言っても断られたり。こういう素というか、額のない展覧会をもっと広めていただけると、もっと表現の幅が広がるんじゃないかなと思いました。

(前山)現代美術の世界だと、額がないのは普通なんですよ。キャンバスのまま壁にかける。もちろん側面も見てほしいというのもあって。ただ裸だと触られたり保存面で危険性もあるので、運営する側は額に入れてほしいなというのはあるかもしれないですね。今回の展示では、デリケートな作品はクリアファイルに入れてます。


③ 作品はずっと大切にしてシワシワになってしまったものでもいいのでしょうか。また、どうしても原画を残したい場合など、カラーコピーで出しても良いのでしょうか?

(前山)シワシワなのはそのままにしてください。昔施設の人が作品を持ってきたときに、一番ショックだったのが、ラミネートされていたこと。美術館の人間からするとラミネートされたら作品は終わり、もう元に戻せない。しわくちゃでも全然良くて、現状で残した方がいいと思います。コピーの話は、画像ソフトで作られた作品は出力されたものを展示しています。でも原画がある作品のコピーは少し抵抗があります。版画とかだと複数作れますけどね。

表現活動調査は来年度も実施予定です!
新潟市およびアーツカウンシル新潟のウェブサイトにてお知らせいたします。皆さまのご応募をお待ちしています。