【インタビュー】劇場文化の成熟を―Noism芸術監督 金森穣氏
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- 投稿日:
- 2017.09.06(水)
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- written by:
- 杉浦 幹男
9月29日から12月17日の間、「新潟インターナショナルダンスフェスティバル2017(NIDF2017)」がりゅーとぴあにて開催されます。
NIDFは東アジア文化都市を契機に2015年に新潟市で開催されました。この時に生まれた都市間文化交流の継続・発展、参加各国の相互理解を深め、新潟市における舞台芸術の取り組みを国際発信する2回目のNIDF。今回は新潟市が誇るりゅーとぴあ専属舞踊団Noismと、韓国、シンガポール、中国の舞踊団が新潟に集います。
いよいよ開催を今月に控えたNIDF2017のアーティスティック・ディレクター 金森穣さんにNIDF2017をはじめ劇場に対する想い、地域で活動することについてお話を伺いました。
アジアの舞踊の現在に焦点をあてると劇場文化の課題が浮かび上がる
―NIDF2017が9月末から開催され、韓国、シンガポール、中国の舞踊団が新潟に集います。アジアの方々が来られた時に、どのような発見を新潟の人たちにしていただきたいですか。
金森:新潟は「総おどり」をはじめ高校のダンス部が全国大会で1位をとるなど、踊り文化が盛んな街だと市長も仰っています。そしてNoismは日本で唯一の公立劇場専属舞踊団です。そのような舞踊団がある街の市民として、隣国の中国や韓国では、今どのような舞踊団が劇場専属で活動しているのか、あるいはシンガポールではどのような問題意識で、西洋と東洋の舞踊が融合されているのかを観ることで、自分たちの街の舞踊が世界的な視座で見えてくると思います。ですから新潟の人たちにはこのフェスティバルを通して、新潟の舞踊はどのような特色を持っているのか、Noismの何が独自なのかということを、相対化して見るいい機会にしていただきたいです。
―前回(NIDF2015)は「東アジア文化都市2015新潟市」の一環で開催され、その時に来日した中国、韓国から今回も出演されます。そして今回はシンガポールも加わり参加国が増え、相対的なものが色々な視点で見えてくると思います。金森さんなりの思いをお聞かせください。
金森:劇場文化について考えると、アジアは西洋に遅れているということを認めなければなりません。もちろん、アジアにはアジアなりに培ってきたものがあります。しかし私は日本や韓国、中国やシンガポールにおいて伝統的な舞踊と西洋から輸入された舞踊との本質的な融合がまだまだされていないことの背景に、各国における劇場文化の未成熟があると考えています。今回来日するシンガポールの舞踊団の芸術監督は、西洋の一流舞踊団でプリンシパルを務めた方です。つまり、本場で吸収したものと彼の母国の身体文化を融合して、新しいものを模索している。それは私が新潟でやろうとしていることと似ていますね。このような舞踊家は今、アジアでどんどん増えていますし、これからもっと増えていくでしょう。その時課題になるのが劇場文化の成熟なのです。
もちろん、私はNIDFをアジアに留めるつもりはありませんし、今後は世界に開いていかなければならないと思っています。ただしNIDF2015が東アジア、NIDF2017は南の方も含めたアジアということで、アジアの舞踊の現在に焦点をあてていくと、アジアの舞踊家たちがどのようにして21世紀の舞踊を生み出そうとしているか、その時、劇場文化の課題とは何なのかという問題意識が浮かび上がってくるわけです。
4人の芸術監督が集まるシンポジウムではその辺りのことを議論し、互いの発想を刺激し合えればと思っています。
みんなが東京にいるなら自分は地方を選ぶ。そしてアーティストを地域活性化、国際化の選択肢と捉えることを進める。
―少し、モーリス・ベジャールの話を。ベジャールが東京バレエ団で「ザ・カブキ」や「火の鳥」をやったときのアジア感と、今NIDFでやろうとしているアジア感は全然違うと思います。
金森:20世紀のオリエンタリズム、つまり、ベジャールのようなフランス人舞踊家が歌舞伎の様式美や武士の精神性みたいなものから受けた影響、あるいは絵画であればオランダ人のファン・ゴッホが浮世絵から受けた影響などは、非常に大きかったと思います。しかし今は21世紀で、情報技術革命でこれだけ文化がグローバル化してくると「影響を受けて何かをする」という以前に、自覚なしに影響を受けているでしょうし、異文化をより本質的なレベルで理解していく、あるいは共有していくことが必要だと思います。
例えば、我々Noismは古典バレエの名作『ラ・バヤデール』を原案としたオリジナルの作品、劇的舞踊『ラ・バヤデール―幻の国』をルーマニアで公演しましたが、そこでの評価のされ方は、ただのオリエンタリズムではないんですね。西洋のバレエではないけれどバレエの神髄を理解していて、同時にすごく本質的なレベルでの東洋もそこにあると。パッケージの外側が西洋だったり東洋だったりということではなく、中身として洋の東西が融合しているということにすごく驚いていたし、評価してくれたわけです。それはこれからもっとそうなっていくだろうし、21世紀はそういう時代だと思います。
―ちょっと踏み込んでお伺いします。19世紀末には西洋の没落、20世紀にアジアの時代と言われながらも戦争がありました。芸術の世界で融合、東西比較ということが盛んに言われていると同時に近代化、戦争からの復興、という、ある種マイナススタートの転換期に今あると思います。つまり前の時代を知っている人がいなくなる、これだけ平和が続いているということもありますが、その時にこの後新潟という地方都市の視点で考えた時に、舞踊に限らずどのような交流の仕方をしていくべきなのでしょうか。
金森:日本が世界での存在感を経済発展に託していた時期は終わって、発展より共存、成長より成熟が問われているんじゃないでしょうか。政治制度でも民主主義が民族主義化して行き詰っていますよね。そして都市型のインフラが地方にまで広がって、都市型経済重視の社会構造が問題になっている。当然のようにここ新潟も、新潟出身の首相が新幹線を通してどこよりも先にリトル東京化したわけですが、その結果何を得たかと言うと、東京がどうかを常に気にする東京依存と、その反動による無関心、内向きな意識なわけです。それは日本のみならず外国でも同じで、イギリスのEU離脱にしても、ロンドンの価値観と地方の価値観が違うっていうことが表面化した結果だと思うのです。つまり都市と地方の在り方というものが、政治的なレベルでも変わりつつあり、地方が疲弊しているから地方創生だと言う次元ではなく、地方が独自に国際的な交流をしたり、その街の特色を活かして世界の1都市であるという認識に立ったりしなければ、日本は成熟していかないんじゃないでしょうか。
これからはローカルとグローバルの意識を地方ももっていかなければ、閉塞感が人々をおそい、排他的というか利己主義的な意見がどんどん出てくる。トランプ政権誕生もそうでしょう?。そういう地方が支持しているんだから。インターネットなど、それが出てきた当初は多様性の象徴として考えられていたはずの情報技術が、結果的に同じ傾向の人々が集まるプラットホームとなって、実社会より村化しているわけです。村化しても、その村は世界の1部に過ぎないという意識を持っていないと、危険だと思いますね。
―そういう時代になったときに、アーティストが果たす役割は大きいですね。
金森:そうですね。アーティスティックな活動の本質には、既存の社会権力や暗黙の規範に対して疑義を投げかけたり、問題提起をしたりすることがありますからね。そしてアーティストには、大衆が流されていく道とは異なる道を選ぶ感受性と強さがある。だから日本のアーティストは東京からもっと地方に出るべきです。芸術活動と費用対効果、ようするに経済が密接になってしまった現代では、商品としてのアートを売り込みやすくて、顧客もあふれるほどいる東京という市場を離れにくいのは分かりますが、東京を離れた地方の方が、時間も場所も安く手に入るし、周りに翻弄されないで集中して己と向き合うことができる。みんなが東京にいるなら自分は地方を選べばいい。そして地方自治体などがそうしたアーティストを抱えるということを、地域を活性化したり国際化したりする選択肢として促進すれば、芸術家と自治体がウィン・ウィンの関係を築けるのではないでしょうか。
後世に文化として渡していくことができるバトンをつくっていく。そして世界に発信する。
―最後にそのような情勢の中でNoismという集団、カンパニーが果たす役割とは。
金森:我々は集団で活動しているということが重要です。アーティストと言ったときに、一個人として創作活動をするためのスペースがあればいいというのではなく、我々には集団として活動するための場所と時間が必要です。そしてなにより、集団を維持するための活動理念と、その理念に裏打ちされた訓練を続ける必要があります。あらゆるアートフォームの中でも、表現される芸術的な質が集団活動の質と密接であるという点で、舞台芸術は特殊だと思います。そして舞台芸術における集団性とは、なにもアーティスト側にだけあるのではなく観客側にもあります。美術館を1人で自由に歩き回ったり、部屋で1人モニター越しに表現を受け取ったりするのではなくて、劇場と呼ばれる場所に、見ず知らずの人たちと集まって、集団で芸術体験をするわけですから。これは社会がどんどん個人化していく時代において特殊なことであり、だからこそ、その社会的価値を考えていかなければなりません。
しかし残念なことに、集団性も訓練も革新的表現という大義名分のもとに、20世紀の西洋でかなり無効化されてしまいました。その影響は当然日本にもおよんでいて、もともと専門家としての舞踊家といった認識が希薄で、劇場文化自体が未成熟な日本では、ただ単になんでもありになってしまった。素人でも平気な顔をして舞台に立つし、皆が振付家となって作品至上主義となり、いい作品ができればちょっと名前が出て、いつの間にか消えていく。そのような時代の中で、残していけるもの、後世に文化として渡していけるバトンのようなものをつくっていくこと。それをここ新潟から世界に発信して行くことが私たちの役割だと思います。日本独自の劇場文化論、日本の舞踊メソッドというものが確立されれば、今度は西洋が日本から学ぼうと思うはずです。これから日本が世界の中で、文化でもって欧米諸国と対等に渡り合っていくためには、日本から学ぶべきものがあるのだということを立証していかなければいけない。それが舞踊の世界では集団活動を通して独自のメソッドを確立することだし、そのためには劇場文化の成熟が不可欠だと考えています。
―ありがとうございました。各地で開催されている芸術祭の多くにおいて、やっている人、パフォーマーやアーティストに注目するものがどんどんなくなっているので、そこをなんとかしたいです。
金森:自治体運営の芸術祭がローカルな理解を得るために、市民の参加者を増やしていかなければいけないことはわかります。しかし一方で芸術には専門性というものがあって、誰でもできるものではないということがある。誰もがやってみるべきだけど、誰もができることじゃないというか。素人が見て「あれを学びたいな」とか、外から見て「あそこはあんなことやっているんだ」という独自性を打ち出すためには、やっぱり専門家の力が必要だと思う。そこにはこちら側の問題もあって、最近パフォーマーやアーティストでも専門的知識がない人が多いですからね。やっぱり21世紀は、内と外の両輪をしっかり回していかないといけないですよね。
取材場所:りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館(平成29年5月16日)
金森 穣
りゅーとぴあ舞踊部門芸術監督
Noism芸術監督
演出振付家、舞踊家
演出振付家、舞踊家。りゅーとぴあ新潟市民芸術文化会館舞踊部門芸術監督、Noism芸術監督。17歳で単身渡欧、モーリス・ベジャール等に師事。NDT2在籍中に20歳で演出振付家デビュー。10年間欧州の舞踊団で活躍後、帰国。2004年、日本初の劇場専属舞踊団Noismを立ち上げる。14年より新潟市文化創造アドバイザー。平成19年度芸術選奨文部科学大臣賞、平成20年度新潟日報文化賞ほか受賞歴多数。
www.jokanamori.com