新潟を日本文化の都に

  • 投稿日:
    2017.06.28(水)
  • written by:
    ゲスト
  • 記事カテゴリー:
    コラム
  • ジャンル:
    伝統芸能
アート・ミックス・ジャパン
総合プロデューサー 
能登 剛史氏

バラエティ豊かな日本文化が集結する、春の新潟

 タイトルにあるように「新潟を日本文化の都にする」と言ったら、みなさんどう思うでしょうか?日本文化の都と謳うならば、国宝の仏像や1000年以上続く寺院がたくさんある京都や、日本中のあらゆる情報が集まる東京を、真っ先に思い浮かべる人も多いかと思います。もちろん東京や京都に存在する文化コンテンツは、素晴らしいものがあります。しかし今、少しずつ、確実に「素晴らしい日本文化に触れるなら、新潟だ」という認識が芽吹き始めています。
 春の新潟に開催する、日本文化を担う一流のアーティストが約25組集う「アート・ミックス・ジャパン」(以下AMJ)。私が仲間たちと立ち上げて今年で5年目を迎えた和の祭典です。歌舞伎、能、尺八、神楽、人形浄瑠璃…敷居が高いとされる伝統芸術を、アーティスト自らによる解説で分かりやすく、価格も抑えめで初心者も気軽にはしごしながら楽しめる、他に類を見ない内容になっています。DRUM TAOに東儀秀樹、上妻宏光に片岡愛之助など、著名なアーティストも出演しますし、江戸写し絵や手妻(和製マジック)といった公演自体が希少なステージもあります。特に今年は、例年2日間のところを23日間のロングラン開催、さらに会場も新潟市の中心部のみから市内18箇所に拡大するなど、さまざまなチャレンジの年でした。
 こうした公演を重ねている中で、県内はもとより県外からのお客様も増え、「このアーティストのステージが見られる機会は少ないから、大阪から飛行機で来ました」「2年連続で東京から来ています」といった声があちこちで聞かれるようになってきました。東京でも目にする機会が少ない伝承者の少ない芸や、地方の郷土芸能などを一度に目にすることができる。こんな土地は日本広しといえど新潟だけであり、この動きに国も注目しています。
 さらに、受身だけではなく能動的に楽しめるのがAMJ。潜在的に日本人が持っている日本文化への好奇心を引き出す仕掛けは、ステージ公演だけではありません。特にお客様の着物への関心は高いものがあり、「着ていく場所が欲しかった」という声や、呉服店とのコラボに「1度着てみたかった」という喜びの声が届いています。他にもワークショップを通じて、和楽器に触れてみたり歌舞伎の殺陣を体験してみたりと、自らの体を通じて学びや発見を楽しんでいただいています。さらに伝統工芸品や日本画の展示、酒蔵の見学に和食や煎茶道の勉強会…盛りだくさんの内容に日本文化の多彩な魅力を感じることができます。
 県外からの来場者が増えているとご紹介しましたが、「AMJがあるから初めて新潟に来た」「このあと新潟観光もして帰ります」というお声も多数いただいています。実際新潟は陸海空の交通手段が充実しており、県外からのアクセスも優れたロケーション。AMJが新潟に親しむきっかけになり、そして「新潟は最高の日本文化に触れられる場所」と実感していただける機会として浸透し始めています。

文化はアイデンティティの拠り所になる

 もともとAMJ開催のきっかけは、16年前に始めたまつりにあります。2001年、私はオールジャンルの踊りが集うまつり「にいがた総おどり」を立ち上げました。フラ、ジャズ、サルサ、創作、よさこい…様々なジャンルのダンスの踊り子たち15,000人が日本中から集い、20万人以上もの観客が熱狂するまつりです。近年では参加するために来日する外国の方もいます。
 初開催から年を重ね、多くの人々と出会い、新潟のみならず全国で踊っていく中で痛感したこと。それが「後継者不足による伝統芸術の衰退」でした。例えば新潟には「樽砧(たるきぬた)」と呼ばれる、江戸時代に船乗りたちが樽を太鼓代わりに叩いたことに由来する楽器があります。これは現代では60年にわたりたった一人で研究し伝承されてきたものでした。それがこのまつりを通じて広く知られ、ここ15年ほどで一桁の年齢の子どもを含む大勢の継承者が育っています。この伝承者である永島鼓山(えいじまこざん)先生は今年亡くなられてしまいましたが、後継者が育ったことで途絶えることなく未来へとバトンが渡されました。このように知られていないだけで、身近に感じられれば、もともと溢れる魅力を持った様々な日本文化は広く受け入れられる、多大な可能性を秘めているはず。そのきっかけを作る場所としてAMJを立ち上げたのです。
 この取り組みは、ただ「日本文化が素晴らしいものだから広めたい、後継者を育てたい」という目的だけではありません。地域に根ざした文化、国に根ざした文化、それはただ「エンターテイメント」ではなく、人々の深いところに根ざしている大切なアイデンティティの一角を担っているものです。一説ではありますが、オーストラリアの先住民族アボリジニの若者の自殺率が高まっているのは、代々続いてきた文化からの断絶にあると指摘されています。極端な例ではありますが、固有の文化を自分の中に持つことは生きる上で大切な精神的な支えになります。資本主義の利益を追求した結果ストレスの多くなった現代社会。心の病気が社会問題にあがる現代にこそ、文化の力は必要なのではないでしょうか。

知れば知るほどハマる日本文化

 私は高校時代にニューヨークへ渡りました。その時に受けたショックのひとつが「日本について語れない自分」に直面したことです。周りの外国人はみんな自国の政治や文化について熱く語っていた時、「タケシの国はどうなんだ?」と言われ言葉に詰まりました。ただ、これはきっと私だけに限った話ではなく、多くの日本人がぶつかってしまう問題ではないでしょうか。
 その大きな理由の一つは、伝統芸術が「敷居の高いもの」「難しい」というイメージが根強く、多くの人にとって非日常のものになってしまっているからでしょう。でも本当にそこまでとっつきにくいものなのでしょうか。AMJでは毎年、割れんばかりの拍手やスタンディングオベーションが起こります。AMJで初めて落語を見た小学生が、落語にハマって誕生日プレゼントに落語の本を頼むようになったり、毎年AMJの石見神楽公演を心待ちにしているお客様もいます。本質的には、心に響くものなんです。もちろん古い言葉で理解しづらい部分もあります。だからこそAMJでは解説をつけることで、楽しみ方を知る入り口になれればと思っています。
 日本人一人ひとりが自国の文化に親しみ、語れるようになること、それは今まさに世界が求めていることです。海外へ行くと強く感じるのが、世界が“日本”を求めているということ。個性的な文化、和を大切にする心、先進的なテクノロジーと伝統との共存…これらは「当たり前」のものではなく、世界的に見ても貴重な財産です。そんな日本を積極的に発信し、世界とつないでいく中心となるべき場所が私たちが暮らす新潟だと、私は考えます。日本文化のルーツである大陸と面し、北前船が往来した物流や文化の発信拠点となり、幕末の開港5港にも選ばれた新潟。江戸時代から続く古町芸妓と日本舞踊の市山流、津軽三味線のルーツであったりと、独自の文化が育まれてきた歴史もあります。「文化創造交流都市ビジョン」を掲げ、今後ますます文化・芸術の力を都市の力としていこうとするこの新潟からAMJが発信されていることは、必然なのではないかと思います。

AMJは新潟から海外へ、未来へ

 2016年12月、「ART MIX JAPAN in MEXICO」という言葉が、メキシコシティの空に轟きました。念願だったAMJ海外公演の初開催がこの時始まったのです。日本でも海外における日本文化への関心の高さが報道されることはありますが、多分この熱狂はみなさんの想像を超えるものだと思います。2日間の開催期間で5万人の来場者を迎え、開演前は会場の外に長蛇の列。書道のワークショップは途中で人数を制限するほどの人気でした。屋外で行われたフィナーレ公演は、辺りが暗くなってもどんどん開演を待つ人の列は膨らみ、大喝采を受け、盛況のうちに幕を閉じることができました。来場者からは「一生忘れられないだろう。もしチャンスがあるならもう一度見てみたい」「素晴らしいアドベンチャーをありがとう」という感想が続々と寄せられるほどで、もっとこの熱狂を日本の人には知ってもらいたいし、誇りに思って欲しいのです。
 私たちの先祖が育み、伝承され、今を生きている「日本文化」。それは現代において様々な形に発展しています。古典を忠実に守るものから、伝統を踏襲しながらも現代的なアレンジを加えたもの、さらにそういった歴史を経て生まれた「アニメ」や「漫画」などのポップカルチャーも日本文化の一つ。日本文化の間口は広いです。だからこそ、AMJでは約25もの公演と多彩な体験型イベントという間口を用意しています。
 また2017年より始まった「AMJプラス」。アセアンの文化も紹介することでその似ているところ、異なるところを知り、文化交流や相互理解への発展を期待するものです。文化の力は計り知れません。たとえ言葉が通じなくても、舞踊や演奏を一目見れば、心が動き、感動が生まれます。たとえ「政治」の力では越えられない壁も「文化」の力でなら軽々と超えることもある。そこをAMJでは感じて、繋げていっていただけたらと考えています。
 「新潟が日本文化の都になる」「日本文化を知るなら新潟へ」。これは夢物語ではありません。新潟にいるあなたが日本文化を楽しむことで、先人たちが築き上げてきた文化は、きっと心を豊かにしてくれることでしょう。AMJが目指すもの、それは内容の充実や来場者数のことだけではなく、新潟の、日本の人たちが日本文化に触れることで得られる精神の充実と日本文化の活性です。さらにそれが世界に広がれば最高です。もちろん、一朝一夕でできるものではありません。立ち上げも大変でしたが、立ち上げてからの方が何倍も大変です。開催の危機もありました。それでもAMJは存在している。それがこの祭典が求められている、日本文化が必要とされていることを証明しているのではないかと思います。
 2020年の東京オリンピックに向け、ますます日本への世界からの関心は高まりを見せることでしょう。私たちは経験を生かし、さらにプログラムを充実させ、日本文化の発展と継承、それによる社会へのアプローチに努めていきます。ぜひ一緒に日本文化に親しみ、新潟から日本中へ、世界中へ、発信していきましょう。
文:能登剛史