【インタビュー】祭りをきっかけに人と人が出会うことー赤塚伝統芸能保存会代表 山川潤氏

  • 投稿日:
    2017.06.28(水)
  • written by:
    高橋 郁乃
  • 記事カテゴリー:
    インタビュー
  • ジャンル:
    伝統芸能
赤塚伝統芸能保存会
代表 山川 潤氏
7月2日(土)に新潟市音楽文化会館・ホールにて開催される新潟市伝承芸能保存会による「郷土芸能公演(郷芸)」。今年で31回目を迎える。
その事務局を務められている山川さんは、赤塚伝統芸能保存会の代表でもあり、新潟市西区赤塚地区に伝わる太々神楽をはじめとした伝統芸能の継承に力を入れられている。今年1月に砂丘館と旧齋藤家別邸で開催された「新春 神楽めぐり」では小学生の子どもたちによる稚児舞も披露され、観客を魅了していた。
今年度に入り神楽舞を練習する子どもたちが増えたとの情報を元にインタビューを進めると、活動の目的は伝統芸能を保存することだけではないことが分かってきた…
存続危機、そして…
―今年(平成29年)1月に砂丘館と旧斎藤家別邸で開催された、新春神楽巡りを拝見しました。稚児舞が素敵でしたね。

山川:今年の2月頃に、赤塚小学校の先生から声をかけてもらって、当時の3年生に、伝統芸能である神楽を伝承しているということを子どもたちに教えてあげたい、学校に来て話をしてくれということで行きました。メンバー2人で行って、白衣、袴をはいて、笛を吹いたりしました。その結果、当時の3年生8人と、他に募集していたのも加えて14人で、すごく人数増えました。
年齢的にもよかったかもしれませんね。ちょうど興味が沸いてくる年頃で、自分でも物をはっきりと言えて、ということもあるかと思います。興味があったらぜひ参加してくださいという募集のチラシを3年生全員分置いてきたら、続々と電話がきました。男の子は1~2人やりたいと言って、仲間を集めて4人でチームを作ってきた。女の子は、行った直後に衣装を見せたら、「これ着たい!」とはじまっちゃって。女の子の方は最初からやりたい感じだったのかな。男子は2人はやる気があって、2人は仕方なくという感じ。でも仲が良いから一緒にやろうと言って。その2チームができました。
今までやっていた今年6年生の女の子は、その時にはまだ5年生でしたけど、休み時間に少し舞ってくれました。私たちが笛を吹いて。そうしたら、まじまじと見ていましたよね。女の子はみずき野地域のチームなんですけど、今まで興味を示さなかったかな、壁があったかなというのがあったのですが、向こうの地域でもやってみたい人もいたのだなと感じました。
私にしてみたら、どこの地域でも構わない。小学校も赤塚でなくても構わない。衣装のサイズの問題があるので、やっぱり小学校の間かなと思いますが、それでもそれだけ来てくれたので、ちょっと嬉しかったですね。あとは、今年2年生になった子とかは、別に募集をしていた方で入って来てくれました。
実は小学校の先生と、声掛けくれた先生は、以前、酒屋にいらっしゃった方で。酒屋御神楽がありますよね。その継承していく苦労とか、人集めとかの苦労を見ていたので、それをなんとなく分かりますよと言ってくれました。その助けにもなればということでやってみて、見事に当たりました。稚児が始まって、丸8年、今年9シーズン目ですが、小学校でお話できたのは、今回が初めてでした。なかなかうちも、どのように声を掛けていいか分からなかったのです。
9年前にこの団体を立ち上げて、当時の校長先生に、稚児を復活したいんだけどどうしたらいいですかと聞いたら、「分かった、あなたがまずやりなさい」と。本当はやりたいというよりは、どうしたものですかね、という話だったのですが。やるかやらないか分からない状況だったのが、校長先生の一声で、やることになりました。4月15日に祭りは決まっています。平日の場合が多いじゃないですか。過去にも、特定の4人の男の子だけが稚児に出るために、学校を休んでしまうので教育上よろしくないという指摘を受けたことがありました。というのも、神楽を舞うのは赤塚だけではなく、8か所くらい回らなければならないので、学校を休んでしまいますからね。教育上の問題が大きかったという理由で、平成に入った頃にいったん途絶えてしまいました。それで平成21年に復活したのかな。

―だいたい20年くらい途絶えていた。

山川:そうですね。20年くらい途絶えていました。
今大人でやっている人の中には、過去の稚児の経験者もいますが、舞の細かい部分は覚えていないと言っている人もいます。やったという事実とか、教わるときに叩かれたということは覚えているし、短期間で五つ舞があるのでそれを覚えたということは記憶にあるようです。
今は女の子っぽいものが二つあって、男子っぽいものが二つ、どちらでもいいものが一つなので、女の子が二つ、男の子が三つという感じでわけられるのがいいかなということでやっています。花と扇を持って舞うものが女の子の舞ですが、今年の砂丘館での新春神楽舞では、今年卒業した子が6年生だったので、女の子の数がぎりぎりでした。でもまた(新しい女の子が)入ってくれたので、途絶えるかと思っていたのでよかったです。正直、子どもたちが入ってくれると思っていなかったので、1人や2人でも興味を示してくれればいいと思っていたのですが。
なんとか道ができはじめました
―保存会は、途絶えたものを復活させるときに立ち上げられたのですね。

山川:私は15年くらい前に入ったのですが、その時には平均年齢80歳くらいのおじいさんがやっていて、存続がかなり危ない状態でした。そんな状況の中で誘われて、入り始めました。ここまで全部引き継ぐとは思っていなかったのですが、ある程度体力的に厳しくなったり、亡くなったりということで人が減っていったので、いずれ団体を引き継ぐと思っていました。ここから300~400m行くと地蔵院という小さなお寺があります。そこはお寺ですけど神輿があって、それに付く笛と太鼓があります。そこから私たちは練習を始めました。それをおじいさんたちに笛と太鼓を教えてもらって、興味のありそうな人を太々神楽へひっぱってという感じで存続させていて、私が入った時は私と若手はもう1人だけでした。あとは、私は稚児の経験はないですが、過去の経験者にも声を掛けて、今は若手5人、おじいさんは2人引退して、現役は1人でやっています。

―4月15日にお祭りで奉納されるということでしたね。

山川:その前夜もここで宵宮がありますが、それには舞がありません。その次の日の本宮で舞います。継承できていない舞も二、三ありますが、時間的な問題もあるので、大人五つ、子ども五つでちょうどいいかなとは思っています。全部で十二舞が正式なんですけど、もう二つは出していない。実は誰もできない、覚えていないんです。ビデオはあるんですけどね。教えてくれる人によっても、ちょっと違ったりします。過去にここで舞ったものを撮影した映像と今やっているものとを比べると何か違うねという話もあって、やりやすい方をとったりしています。そうやって今後もまた変わっていくのかなと思います。
子どもがいっぱい入って、今18人。そのお母さんたちも来なければいけないので、大変ですよ。今、この春からはじめて、ほとんど初体験の人ばかりなので、第2・4金曜日が練習日。19時から赤塚公会堂でやっています。それは夏までにしようと。7月2日に郷芸(郷土芸能公演)があるので、そこに、今年は人数が多いので、女の子と男の子一つずつで二つ出してもらおうかと。私が事務局をやっていますが、今年参加団体が少なくて15団体ということもあります。あとは、8月の末に佐潟祭りがあって、それも出るので、そこまで練習するか、7月で終わるかですね。そしてまた年明けた2月くらいから、稚児舞いと大人の舞いも練習します。

―子どもたちは小学校卒業と同時に神楽も卒業ですかね。

山川:そうですね。今年、ありがたいことに、練習に卒業した先輩たちが来てくれました。でもやっぱり教えるのは難しい、どうやっていいかわからない、ということをその子たちは感じたようです。真似しかないのでね。そうやって大人になって戻ってきてくれれば嬉しいかな。
中学校に行った子どもたちも、笛とか太鼓とかやりたいと言っていたので、やればいいと思います。今後どうなるかは心配です。中学生で、受験生もいるので。受験生の子はお父さんとセットでほぼ最初からいる子でした。今年卒業した子はその子の妹なんですけど。親子でやっているのはその家ともう1組。今年はもう2組います。今までで4組が親子でやっていましたね。なんとか道が少しできたかなと思っています。途切れる可能性はあったので、私はダメ元で始めていました。今年いっぱい人が来るまでは、女の子が1人減るから女の子の舞は休み、男の子は揃いそうだったので、そっちだけでもと思っていましたが、びっくりしました。切羽詰まらなさが良かったのかな。

―これからも学校で伝える場をつくりながら、でしょうか。

山川:やっぱり3年生のうちに太々神楽と稚児舞いを伝えるといいのでしょうか。大人の方も大募集中ですが、なおさら難しいんですよね。子どもは学校があるので、そこに行って、あとは親御さんの理解があればいいのですが、現役で仕事をしているので、両立もありますからね。本当は60歳を超えていらっしゃる方が出てきてくれるといいのですが。でもそこから覚えるのは大変で、少し前からは始めておいて、本格的に始めるのは60歳くらいからというのが理想ですね。
お祭りは人と人が出会う場所
―今後の活動、展望についてお聞かせください。

山川:お祭り自体が目的じゃないのだなと最近思い始めています。これをきっかけに人が出会うことだなと。一つなくなった延命町船江組というお祭りがあったのですが、村上ほど立派ではないですが、屋台が二つありました。一つは20年くらい前に引っ張り出したら、腐っちゃっていて、もう一つは赤塚神社の楽屋の下にあって、無事でした。多少虫が食っていましたが、それをそのまま組み上げて、結局それを引っ張っていました。子どもたちも、そういうのを少しでも記憶に残して、(この地域に)残っても残らなくても戻ってこられる人がいれば、地域のために何かやってくれればいいですけどね。
初めは、立ち上げるのに精一杯でしたけど、今はもうちょっと出会いの場かなと思っています。あと、ここ(赤塚)とみずき野の壁がなくなるといいなというのはありますかね。微妙な地域の壁は、村の中でもあります。選ばれた子しかできないとかということを、お年寄りの中で言うひとがいるみたいで。面倒くさいということの言い訳かもしれないですが、子どもは今クラブ活動で忙しいみたいですが、興味を持ってくれたらいいですよね。
出雲なんかは毎日やっているところもありますよね。石見神楽だったかな、そこは毎日か毎週奉納して見せています。ショーですね。半分保存のためですけど、そうやることで継続できますからね。舞もすごくたくさんあるらしくて、練習が大変で、本番が練習みたいなものですね。無人の神社がいっぱいあるので、赤塚神社の管轄は40くらいに上ります。昔は交通手段が大変だったので、泊まりで角田から五十嵐二の町までの神社から板谷とか黒崎の辺りも行ったらしいです。その中で年4か所くらい、角田や越前浜(新潟市西蒲区・赤塚神社から約5km)、五十嵐二の町、三の町(新潟市西区・新潟大学周辺、赤塚神社から約10km)に行きます。内野(新潟市西区・新潟大学周辺)では神楽を奉納します。神事だけ笛と太鼓を春か秋だけやっていて。ありがたがってくれますので嬉しいですね。これからも細々とやっていきたいです。
取材場所:赤塚神社(平成29年5月18日取材)
ご紹介
〇新潟市伝承芸能保存会 郷土芸能公演(郷芸)
主催 新潟市伝承芸能保存会。
今年度で31回目を迎える。新潟市内の郷土芸能15団体による公演。神楽をはじめ、万代太鼓や盆踊り、木遣りなどの保存会、振興会が出演する。本年度は7月 2日(日)13:00~16:30。会場は 新潟市音楽文化会館・ホール。申し込み不要、入場無料。

〇赤塚太々神楽(赤塚伝統芸能保存会ホームページより)
【平成25年 無形新潟市民文化遺産登録】
明治初期より赤塚神社に伝わる出雲流の太々神楽(だいだい-かぐら)を継承。神事の際に、楽人(がくじん)が演奏を行い、神事を厳かに盛りたてている。
毎年4月15日に春祭りがあり、お昼ごろに神事が執り行われ、その後、境内の舞台で太々神楽が奉納される。
【お祭りご案内】
 ●4月14日19:00~宵宮(よいみや)=前夜祭。
  祝詞奏上
 ●4月15日13:00~本宮(ほんみや)。
  祝詞奏上(のりと-そうじょう)、玉串奉奠(たまぐし-ほうてん)、
  太々神楽・稚児舞い奉納。
 ●11月29日19:00~神迎え(かみ-むかえ)。
  祝詞奏上、太々神楽五舞い奉納。
 ※いずれも会場は赤塚神社。

〇赤塚地区に伝わる伝統芸能等
【市民文化遺産】(ニイガタカラ.Netより)
明治初期より赤塚神社に伝わる太々神楽を継承しており、今後も保存すべき貴重なものである。他にも、地蔵院の春夏禮祭の演奏と、8月末の屋台引き回し(休止中)も継承・保存活動の一翼を担っている。