【事業アーカイブ】3/6 語りの場 vol.35「障がいのある人の表現活動調査 これまでとこれから」
- 美術
――中村さんは演劇を大学時代から始められたそうですね。始めるきっかけ何だったのでしょうか。
大学2年から大学の演劇サークルに入って始めました。
大学に入るまでは、ずっと運動部で運動ばっかりやっていたので、大学に入ったら文化活動っぽいものをやりたいなあ、映画が好きだから映研みたいな所に入りたいなあ、と思っていましたが入りそびれて大学2年も半分過ぎた頃に、たまたま大学の演劇サークルが「劇団員募集」という立て看板をキャンパスに立てていて、その派手さに感動して演劇サークルに入りました。それまで観劇もしておらず、当時はやっている演劇なども全く知りませんでした。
――入ってみてどうでしたか。
イメージをいい意味ではるかに超えましたね。当時、演劇と言えば『ガラスの仮面』で、発声練習や役になりきるというイメージが強かったんです。しかし、僕が入った演劇サークルは、どちらかというと半分以上が肉体訓練だったんですよ。ずっと運動部だった僕からしたら、「なんていいところなんだ」と思って。汗かいて、飛んで跳ねて、踊って、躍動的な芝居が楽しかったです。それで、はまりました。大学時代は俳優で、脚本・演出はしていなかったです。
――大学を卒業されて、会社に就職。そのタイミングで、演劇は続けられていましたか。
やめましたね。プロの俳優になりたいと思って、いくつかのオーディションを受けたのですが、ことごとく落ちて。次これに落ちたらきっぱりやめよう、と思ったところで落ちたので、すっぱりとやめました。何の未練もなく、就職活動ができました。
――会社員になってから演劇を再開されるわけですが、どれくらいで始められたのでしょうか。
JACROWを立ち上げたのが33歳の時ですが、その4~5年前に社会人仲間から、「社会人劇団があって、中村君は学生時代に演劇やっていたし、ちょっと出てみないか」と誘われたんです。まさかそんな団体があるとは思わず、楽しそうだな、とサークル感覚で役者として参加したのが28歳でした。
――既存の劇団に俳優として客演の形で参加された後にJACROWを立ち上げられたんですね。立ち上げるまでに何があったのでしょうか。
学生時代に演劇で熱い青春を過ごした僕からしたら、参加した社会人劇団がぬるすぎたんです。「仕事が忙しければ稽古も休んでいいし、できる範囲で参加すればいいよ、みんなもそんな感じだから」ということで、「それなら参加できる」と思って参加したんですが、「物足りない」と思っちゃったんです。仲間はいい人たちだったし、作品自体もおもしろかったんですが環境がぬるすぎて嫌になったので、自分で立ち上げようと思ったんです。
――その時点では、役者として立ち上げよう、と思われたのですよね。どこで脚本や演出に。
声を掛けた仲間がみんな俳優で、脚本・演出をやる人がいなかったんですよ。じゃあ自分でやるか、と思って。独学で本を書き始め、演出を始めました。立ち上げて5年くらいは脚本・演出だけじゃなく、出演もしていました。カメオ出演みたいな感じですね。
――2001年にJACROWを立ち上げられ、今年で22年。立ち上げから1年1作品、近年は1年に2本上演されています。稽古やミーティングなど、劇団が集まるペースを教えてください。
公演の稽古という意味では、約1か月半前からほぼ週5で、平日は夜、土日は昼、というのが続きます。本番の2週間くらい前からはスタジオにセットを仮組して、本番さながらに稽古する集中稽古を昼夜やりますね。僕は出られなかったりする時もあります。
劇団のミーティングという意味では、月イチで必ず集まりますね。
――中村さん不在の稽古もあるとのことですが、メンバーのみなさんは、どのように受け止められているのでしょうか。
みんなに聞いたことがないので正確にはわからないですが、それが前提だったりするので、いないならいないなりにやることはある、と思って、みんなその時間を過ごしてくれていますかね。
演劇は集団創作ということもあり、演出家と俳優の対話だけではなく、俳優同士の対話も非常に重要です。活発に議論し合う場が、コロナ前は稽古後の飲み会だったのですが、できなくなってしまったので、稽古場でそれをするしかなくて。そうなると、「ノブさんがいない時もあった方がより濃密になる、議論できる」と言われています。実際に濃密な仕上がりになっていますよ。それは、信頼できる俳優を集めているという僕の信頼感が前提です。さすがに、僕が外部の脚本・演出で参加するプロデュース公演では、いなくなることはできません。
――仕事と演劇活動を両立するうえでの難しさをどこに感じられますか。
演劇界では、たぶん僕は異端児で、昔は肩身の狭い思いをしてきましたね。「中途半端に演劇やってる人」と思われていて。でも会社も仕事も大好きなので、辞めたいと思ったことはないです。なので、会社生活で両立することの難しさを感じたことはないですね。
年に2公演とすると、稽古は公演の1か月半前から始めるので、年間のべ3か月間は演劇の稽古と会社生活の両立になります。残りの9か月間は、劇団運営との両立はしていますが、稽古との両立はしていないんですよ。3か月間は迷惑を掛けるところはあると思いますが、9か月間は会社生活に全力投球です。
――会社員の顔、演劇人の顔、二つをお持ちですが、こっちの顔を持っていてよかったな、と思う時はどんな時でしょうか。
やっぱり、最近の作風は会社がらみのものが多いので、普段の会社生活がネタの宝庫だな、と思っています。会社生活に関しては、演劇活動の芸術的・右脳的なセンスや感覚が、企画やアイディアの部分で役に立つこともあります。両方やっていることで、一方の生活だけでは得られない何等かの知見を導入することができるな、と勝手に思っています。
――お互いに横断性がある、混じり合っているなあ、と思います。会社員で演劇もやっていると言ったときに、演劇側が趣味的な活動と思われてしまうこともあると思います。文化芸術活動をするマインドをどのように持たれていますか。
会社で働くことは、社会活動の最たるものだと思っているし、僕が働いている職場も、社会に対してアンテナを張らないといけない職場なんです。経済と社会みたいなものに少し目を向けた時に、それが演劇活動や芸術活動に活きることは多分にあると思いますね。
――社会を切り取り他者へ伝える、ということは、会社員、演劇人、いずれにも重要ですよね。どのように練習すればいいのでしょうか。
大事なのは、思いを伝える時の言語化だと思います。自分のやりたいことが社会一般に役に立つのである、決して自分だけの趣味ではないのである、と伝えられる言語を持つと強いな、と思います。練習をするというよりも、そういうものを見たり聞いたりすることだと思います。僕の場合は、会社生活がまさにそうなので、趣味と実益、というより、実益と実益を兼ねている、ということですね。
――参加者の方から、「実益と実益を兼ねている、積み重ねていくと、会社員として地位が上がったり、責任が増えたりすることがあると思います。その時に演劇活動自体がひっ迫したりすることはありますか」と質問をいただきました。
会社の中で、みんなが応援してくれているかと言われると、そうでもない人も数人いたりするので、その人達と折り合いをつけるのは大変ですね。管理職なので責任は増えますが、少なくとも同僚や部下はみんな応援してくれていますね。
――逆に、両立によってうまくいっているなという実感が沸いた瞬間はありますか。
脚本のネタに事欠かないというのは、演劇に関してうまくいった最たる例ですね。
演出はリーダーシップやチームビルディング、俳優たちをどう演出するかっていうスキルが必要になってきます。会社において自分が管理職、部下がいる状況の中で、部下と対話をするのは同じような感じだな、と思います。
――「両立しやすい仕事があるんじゃないか」という指摘をいただきました。
一人で進める部分が多いクリエイター、演劇の作家(脚本家)は、どんな職業でもできると思います。俳優と演出家は一人ではできないので、どんな職業でも、と言い切れないイメージがありますね。
――両立の難しさということで、さらに質問をいただいています。「お仕事をしている中で、急なトラブルがあると思います。どちらかに穴をあけるしかない、ということがあると思います。そういう時はどのように対応していますか」。
会社のトラブルは絶対に穴を空けてはいけないことなので、仮にそれが本番前日の場あたりやゲネの時間であっても、圧倒的に会社を優先します。それはスタッフもキャストもわかってくれているので、いなかったらなんとかしますと言ってくれます。演劇にも責任はありますが、迷惑を掛ける人数の大きさを考えると、会社の方が圧倒的に多いので、会社を優先します。
――会社と両立をすることで劇団の運営や展開など見えてくるものを教えてください。
テレビドラマやマンガではビジネスドラマのヒット作があります。しかし演劇ではそれがなかなかないので、このジャンルでリアリティを持って書けるのは俺しかいないな、という自負はあります。なのでこのジャンルは、劇団のブランドとして推し進める領域ですね。
作品とは別に団体をどうしていきたいか、という意味においては、とにかく劇団の所属俳優に売れてほしいと思っています。そのために僕がこの路線で書くことで、演劇界でビジネスドラマをやっている団体があるな、と少しずつ注目され、いろんな業界関係者が見に来てくれて、それをきっかけに俳優が劇団を踏み台にして大きくなってくれればいいな、と心から思っています。名刺代わりですよね。
――では最後に、中村さんご自身の今後の展望をお聞かせください。
なんやかんや、もう定年まであと5年なので、両立という意味では、あと5年きっちりこなしていこうと思っています。定年した後は、脚本や演出よりも制作の方がたぶん得意なので、脚本・演出は細々とやりつつプロダクションとして所属俳優たちを売っていきたいと思います。それが今の僕の夢です。
――それはそれでまた、二足の草鞋ですね。