【事業アーカイブ】2/16 語りの場 Vol.29 持続可能な文化芸術活動を考える③「草の根でゆるやかにつながる地域 ~文化による居場所づくりの試み~」
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- 投稿日:
- 2022.03.10(木)
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- 地域文化拠点
文化・芸術の分野で活動する方々をゲストとしてお招きする、トークシリーズ「語りの場」。市民のみなさんが新たな視点や価値観と出会い、知り(学び)、自らの活動を広げていくことで、魅力あふれる活動が、まちに根付いていくことをめざしている。
語りの場 Vol.29 持続可能な文化芸術活動を考える③ 「草の根でゆるやかにつながる地域 ~文化による居場所づくりの試み~」
開催日:令和4年2月16日(水)19:00~20:30 ※Zoomにて開催
ゲスト
直井恵(草の根文化芸術コーディネーター)
聞き手
野村政之(コーディネーター/ドラマトゥルク/演劇制作者)
はじめに
自分のやっていることの説明をするのはなかなか難しくて、上田映劇や中間支援のNPO、引きこもりや生きづらさを抱えた若者の支援をしている団体で広報を手伝ったり、フィリピンで国際協力をしているNGOの理事をしていたり、地元の高校がフィリピンに研修で行くときに引率をしたりしています。自分で切り絵やデザイン業務もしています。
フィリピンで過ごした20代
私はパヤタスという地域で20代を過ごしました。民間の小さなNGOで働いていました。国際協力の現場です。フィリピンはごみを野積みにして焼却しません。30mくらいのごみの山があって、その山の上で人がごみのリサイクルの仕事をしています。20代の時に、そういう人たちの「お米を買えない」「今日食べるものがない」という会話を聞くわけです。貧困問題を解決したくてフィリピンに渡ったけれど、スラムができる現状って何なんだろうと突き詰めて考えると、今の世界の暮らしの在り方や資本主義の成れの果てだと感じて、日本でもやることがあるんじゃないか、という思いを抱えながら、NGOは一度退職し、地元の長野に戻ってきました。
フィリピンでは他にも、ルソン島の北部に、自然崇拝が残っている山岳民族の若者たちとフィリピンの環境問題を演劇ワークショップを通じて考える、という取り組みにも関わってきました。当時、妊娠8か月で、2歳にならない長女を連れて、すごい旅でした。自然豊かな山岳地方の村に行って。このあたりの民族は首狩り族で、今は首狩りはしていないのですが、今でも棚田のサイクルに沿って、儀式や踊りが残っています。本当に豊かな文化が残っています。
フィリピンと長野県上田市
上田に帰ってきたら、偶然地元の高校がフィリピンで研修を始めたことから、「じゃあ直井さん、引率で一緒に行ってください」となって。再びパヤタスを訪れることになりました。これはもう7年やっています。研修では生活している住民のところに高校生を連れて行って、貧困って何なんだろう、それを生み出す構造ってなんだろう、ということを経験しながら学んでいきます。パヤタスはもう閉鎖されてごみが運び込まれていない状態ですが、新しいところにごみの最終処分地が作られています。構造が何も変わっていないという話を高校生としています。
うえだ子どもシネマクラブ
そして、「うえだ子どもシネマクラブ」という取り組みをしています。上田映劇という100年の歴史がある映画館があるのですが、学校に行っていない子や行きづらい子たちに、映画館の休館日に無料で映画を見てもらう取り組みをしています。上映会は月に2回ですが、平日でも、子どもたちは映劇に来て、チラシの印鑑押しをしたり、ポスターの貼り替えをしたりしてもらっています。
《対談》
野村:
直井さんの活動にはいろんな線が走っていますよね。上田映劇でやっている「うえだ子どもシネマクラブ」は、3つのNPOが運営に関わっているんですよね。
直井:
そうです。コンソーシアムを形成して、NPOの中間支援のアイダオ、フリースクールの侍学園、上田映劇の3つで取り組んでいます。どれか1つでは生まれなかった支援もあるし、1つのジャンルでは行き詰まりがあるんじゃないかと思います。それに、照明スタッフの人たちと福祉の人たちではやはり言葉が違って、そのジャンルの中にいればパッと伝わることも、ジャンルを超えると一瞬伝わりにくいこともあります。それを必死に説明したり、共通の言語で話をしようとしたりする、ということが面白いな、と思います。
野村:
「うえだ子どもシネマクラブ」は、侍学園の持っている公立の学校や子どもを守るつながり、映画館の持っている文化の場所が繋がることによって、学校に行かないときに子どもたちが過ごす場所として有効に使われていて、そこをアイダオがつないでいる、と。
野村:
今ご質問でも、「直井さんは普段常駐として映劇にいらっしゃるのですか?」とあります。
直井:
今だいたい週2日侍学園にいて、週2日映劇にいて、それ以外の日にそれ以外のことをやっています。最低限ここに何時間いて、というのはありますが。割と自由にさせてもらっています。
直井:
そうです。水曜と金曜日に子どもたちの受け入れをしているので、窓口業務や事務仕事をしながら、子どもたちの対応をしています。ある子の学校は、映画館に来ることを出席として扱ってくれています。
「うえだ子どもシネマクラブ」の上映会では、家庭訪問を何度してもお子さんには会えなかったソーシャルワーカーさんや担任の先生が、映画館でその子に会える、ということもあります。先生からすると「会える」ということはすごく大きいんですが、学校や家庭ではなかなかそれが難しいケースもあって。そういうときに映画館が機能するんだな、と。
それから、子どもたちは映画を作品で選んでいるんですよね。ちゃんと自分が見たい作品の時に反応しているんだ、と。自分で選んで掴んでいくことよりもタスクをこなすことの方が多いような気がしますが、選ぶ、ということは、学校に行ける/行けないにかかわらず、子どもに提供されるべき行為だな、と思います。
野村:
「うえだ子どもシネマクラブ」には、この先がどうなるか分からない選択肢を自分で掴んでみる、自分で選ぶ力、切り拓く力を文化芸術は引き出してくれる、ということを改めて教えてもらったな、と思います。
直井:
答えは自分で見つけるものですが、学校現場では今それがなかなかできないと思います。映画は作り手の意図があったとしても、見た自分が持つ感想や感情で良いわけです。学校では感想すら評価の対象になってしまうけれど、何を考えたって思ったっていい、という自由であることの保証がアートにはあるな、と思います。その蓄えがないと、自分の体験と結び付けられない。この前も「うえだ子どもシネマクラブ」に来てくれている子がシンポジウムで映画の感想を言っていたのですが、自分の体験とつなげて感想を言っていて、それはなかなかすごいな、と思って。急に振られてなかなか映画の感想って言えないな、と思うんですが、自分の意見をもつ、感情を揺さぶられる、という経験って非常に大切だな、と思います。
上田では、学校に行っていない子や、外国籍の子、いろんな人が入り組んでいろんな活動が起こっています。その一つに劇場とゲストハウスを拠点に、雨風しのぐ“軒”を作ろうということで、「のきした」という取り組みがあります。ワンコインで女性が泊まれるシェルターとか。
野村:
「のきした」は5、6個のNPOが「犀の角」という文化施設を拠点にして活動をしていて、出産と子育てのことを喋る場とか、おさがりを共有する市とか、女性の発想をきちんと形にしたものがあって、子どもも同じ場所で過ごしあえる場を自分たちで作っているな、と。
ほかにも、インドネシア出身の人たちが「豚汁が食べられない」ということがきっかけで、外国にルーツを持つ人たちを意識した取り組みを始めました。直井さんはそういうつながりを上田ではどのように持っているのですか?
直井:
うーん、日常の中で自然につながるというか。フィリピンのNGOの時からの癖なのかもしれませんが、生活者の視点で意識して社会を見るようにしたいなと心がけていて。
野村:
日常の生活からつながりを作っているんですね。
直井:
もう、何が日常で何が仕事かがわからないというか。上田市って、行政の人が身近にいて、上田映劇の理事の半分くらいは市役所の職員だったり、ちょっとした相談事でも人権の担当課の方に相談できたりと情報を交換しやすい環境にはあります。逆に行政の人から「こういうことで相談できる人を探していて」という電話がかかってくることもあります。上田市は15万都市なので、距離感がいいんだろうな、と思います。
野村:
直井家と地域の人たちが横につながっていて、夫婦や地域で助け合っている感じですね。
直井:
子どもたちの年代も似ているので、周りと助け合うといったことが自然にしやすいのかもしれません。自分の家だけだと完結しないこともあるので。
野村:
直井さんのフィリピンでの経験が、いい意味で反復されているんだな、と感じます。ルールでできている世の中に我々は生きていて、日本は特にルールを守ることが前提にありますが、直井さんは、ルールに入る前の人間の生き生きとした状況に興味を持ちながら、暮らしと人間の文化的な状態をどうやって関係づけるか、ということをずっとやっておられるんだな、と思います。
直井:
今まで自分がやってきたことというのは、人との縁がこういう状態を作ってきたので、先を見るというより、ずっと足元を見つめてきたように思います。私は草の根、という言葉がすごく好きで、芸術活動をしていく中でもグラスルーツでありたい、ローカルでありたい、ということが根本にあります。自分がやってきたことを振り返ったことがなかったので、今日はすごく新鮮でした。ありがとうございました。