【インタビュー】帰ってきたいと思える場所をつくりたい―新潟市南区まちづくりアドバイザー 本間智美氏

  • 投稿日:
    2017.08.23(水)
  • written by:
    高橋 郁乃
  • 記事カテゴリー:
    インタビュー
  • ジャンル:
    地域文化拠点
今年2017年1月、「地域の茶の間」が新潟市南区にオープンしました。その名も「南区地域の茶の間 天昌堂サロン」。この天昌堂は白根商店街で長い間学生服や婦人服などを扱う衣料品店として地域の方々に親しまれていたそうです。空き家となっていた天昌堂を支え合いと交流の拠点として生まれ変える活動に奔走している本間智美氏にお話を伺いました。

※「地域の茶の間」
子どもから高齢者まで、障がいのあるなしに関わらず誰もが参加できる居場所で、新潟市が各区に設置しています。新潟市は、住み慣れた地域で誰もが安心して暮らし続けられるよう、地域包括ケアシステム構築の一環として、「地域の茶の間」を拠点として、支え合い・助け合う地域づくりを進めています。
※地域包括ケアシステム
高齢者が、住み慣れた地域で安心して暮らし続けることができるよう、医療・介護・予防・住まい・生活支援が包括的に提供できる体制のこと。
「ここがふるさとだ」というスイッチを押すことができるように
―今年1月12日にオープンした南区地域の茶の間 天昌堂サロンですが、この天昌堂を地域の茶の間にしようと思ったきっかけは何だったのでしょうか。

本間:まちの交流拠点をつくろうと思って。外からの人の目と内側からの目を交差させることで、何か新しいエネルギーみたいなものが生まれるのかな、というのがきっかけでした。

―「外の目・内の目」というと本間さんは一度新潟を離れたとお聞きしました。

本間:出身は同じ南区内で味方という天昌堂の川向かいの場所に住んでいました。それから名古屋に20年住んで、3年前にこちらに帰ってきました。というのも、長年建築に携わって家を作っている中で、結局のところどんなにいい箱をつくろうが、そこの土地に根付くことができる土壌を作らない限り幸せになることは難しいのかなと思い始めていました。建物の建築だけではなく、地域づくりというところに関わってみたいと思うようになり、どうせやるなら地元に、という想いから新潟に帰ってきました。帰ってきて、何をしようかなと思ったのですが、20年いなかったので知り合いも全然いませんでした。そこでひとまず水と土の芸術祭のサポーター代表に手を挙げて関係性を構築し、2015年の時に南区の中で7つプロジェクトに関わりました。そこでアートの展示をした空き家が後にカフェに生まれ変わったということをきっかけに、以前から目をつけていたこの天昌堂で活動をはじめました。

―なぜ空き家に注目されたのでしょうか。

本間:再開発などによっていろいろなまちがどんどん同じ風景になっていくことで、帰ってくるきっかけになるはずのもの、つまり原風景がなくなり、子どもたちが「ここがふるさとなんだ」というスイッチを瞬時に押せなくなってきているのではないか思っていました。ここ(南区 天昌堂の近辺)は開発が進んでおらず、昔とあまり変わらない状態が残っているので、逆にそれを生かして輝くようにすることで、このまちらしさが出てくる、浮き彫りになるかなと思い、空き家や歴史的に価値のある建物にフォーカスしました。そしてアートによって気づかなかった魅力を掘り起こし、その後の仕組みをデザインで整えていく、というサイクルを回して支えることをここで実践していこうと思いました。

―アートに注目されたのはなぜでしょうか。

本間:自分自身がデザイン畑にいたことにあります。アートは物事を見るときに、ずらした見方をしますよね。本質をずらすというアートに対して、デザインは与えられた課題に対して整える、どのようにして解決するかということなので、それぞれやり方が違うんだなと思います。デザインだけに注目して、その人の独りよがりのような形でデザインされていくことがまちにとって本当にいいことなのかな、と疑問に感じているところがありました。アートによっていろんな人が考えるきっかけをつくることで気持ちを醸成し、その上で何をしますか、とデザインに繋げていくことで、もっといろんな人がハッピーになれる方法だと思ったことがアートに関わろうと思った理由ですね。
人と人が出会う場、そして情報発信基地を目指して
―昨年度まで、「現代アートと演劇をツールとしてコミュニティオーガナイザーを育てる学校」をこの天昌堂で実施されていましたね。

本間:現代アートの概念を基軸に、どのようにまちを作っていくか、どうコミュニティをオーガナイズするか、という学校を、ここ天昌堂を舞台に行いました。天昌堂をどうひらいていくかということが教材となり、講義だけでなく、実際にまちに出る実践も伴った授業でした。一期生は卒業になりましたが、卒業イベントでは商店街でお世話になった方々と協働し、卒業生たちの想いを商店街の方々に引き継ぐことができたと思います。
地域の茶の間もオープンして、その日によって来られる人数も変わりますが、中には初めて来る人もいて、楽しんで帰られています。「コミュニティオーガナイザーを育てる学校」で行ったワークショップに参加していただいた若いママや、若い世代の皆さんがまた違う動きに変わっています。やはり普段会わない人たちが出会う場はいいもですね。学校関係や地域の中でしか出会うことがなかったりしますが、実はそこにはいろんな人材がいて、それをミックスできる場として活用できるなと思っています。

―現在、天昌堂は地域の茶の間としてオープンしています。今後の活動の展望をお聞かせください

本間:今後は、観光や地域の資源をここ(天昌堂)に来れば知ることができて、ここを拠点に歩き回って、ということができる情報発信基地のような活用をしたいです。それは2018年の水と土の芸術祭に向けて準備できればと思っています。人材もかなり発掘できてきたので、今年はその方々と一緒に、各地区と連携しながらやっていきます。地域と関わりながら進めるので、急がば回れですね。上からガツンと物事を持って行ってしまっては拒否反応を生むだけなので、なるべく並走しながら寄り添って、一緒に想いをはぐくみながら、同じ方向に向いていくというのが、実は一番の近道です。天昌堂で動く際には、商店街でよそものたちが集まって何を始めたのだろうという不信感はもちろんありました。それは対話が少ないから生まれている感情なので、とにかく対話をつくるしかないかなと思い、会う度に話をして、説明をして。それで本質の部分や何をやっているか全て分からなくても、関係性を築いていくことができ、「頑張っているからいいじゃない」という感じになっていきましたね。
ひとりひとりが「ここに生まれてよかった」と言えるように
―天昌堂を通して捉えられた理想の地域コミュニティの姿とはどのようなものでしょうか。

本間:今、地域の茶の間を天昌堂でやっていますが、商店街がもともと持つ機能こそ本来の支え合う仕組みなのかなと思っています。歩いていれば誰かに会え、買い物もできるという従来持っている機能を各地で取り戻したいな。そうすることで、わざわざ遠くまで足を運ぶ必要がなくなり、この中でコミュニティも生まれます。そのような原点に戻ることができるといいですね。原点に戻す時に昭和理論でいくと、平成生まれの子たちはついて行けないと思うので、アートの「見方をずらしてみる」というやりかたを持ってくることで、何か解決できることもあるのかなと思っています。東京になりたいわけではなく、ひとりひとりがここに生まれてよかったね、と笑って生きられるのが一番いいかなと思います。ついつい批判したり、内側の人たち同士で批判したりすることもありますよね。それさえなくなって、ここでよかったね、と言えるような地域になることが理想です。若い人たちの流入も目指しますが、流出を防ぐこと、一回出ても帰ってきたいと思える場をつくる。がんじがらめに、ここに縛るのではなく、帰ってきても自分のやりたいことが見つかり、みんなが迎え入れるような空気作りですね。
取材場所:南区地域の茶の間 天昌堂サロン(平成29年5月17日)
ご紹介
〇南区地域の茶の間 天昌堂サロン
新潟市地域包括ケア推進モデルハウス 「地域の茶の間」は、誰もが住み慣れた地域で安心して暮らせるまちを目指し、支えあいの仕組み・健康寿命延伸モデルの拠点として、各区に1つ設置されるもの。この天昌堂サロンは市内で4か所目。
南区の「ひと・まちの健全」を目指すまちづくり団体「みなみらいプロジェクト」が地域ボランティアの協力を得て運営。
<基本情報>
天昌堂サロン(新潟市南区白根3027)
【開催日時】毎週火・木曜日10時~15時
【参加費】300円(小学生以下無料)
※コーヒー・お茶等飲み物とお茶菓子付き
※簡単な手作りお昼ご飯は別途300円で追加可能


〇現代アートと演劇をツールとしてコミュニティオーガナイザーを育てる学校
社会課題を現代アートと演劇を学びと実践のツールにしながら地域住民と共に解決し、人々のパワーで楽しく社会に変化を起こす「新しい繋ぎ手」を生み出す場。昨年度から実施し、9人の受講生が新潟県内外から集まり、5月から翌年3月までの間11回の講座・実習で進められた。