【事業アーカイブ】3/6 語りの場 vol.35「障がいのある人の表現活動調査 これまでとこれから」
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――チョン・ヨンドゥさんは、俳優の活動を経て、韓国の芸術大学に入られて舞踊を学ばれたそうですね。役者、演技の方面からダンスに移ったきっかけをお聞かせください。
(チョン・ヨンドゥさん:以下J)舞台でお芝居をやっていた時に、自分の体を見たんです。あるポーズをしていたのですが、「なんで私はこの形を選んだのか」「感情から来たのか、それともこれまでの教育から来たのか、あるいは文化からなのか、それともDNAからなのか」、と突然疑問が生まれたんです。その時に、自分の体についてもう少し詳しく知ったらお芝居に役立つのではないか、自分の感情と表現のバランスが取れたものをつくれるのではないか、と思いました。それがきっかけです。
――ご自身のポーズが生まれたきっかけに疑問を持たれたのが始まりなのですね。大学で舞踊を学ばれる際には、コンテンポラリーダンスから入ったのでしょうか。
(J)最初に学んだのは韓国の民俗舞踊です。その次にマイムや現代舞踊、コンテンポラリーダンス、バレエを学びました。
――民俗舞踊は型が決まっている印象があるのですが、民俗舞踊からコンテンポラリーダンスに移っていった時に、感覚の違いなどはありましたか。
(J)民俗舞踊は決まったルールがありますが、民俗舞踊の要素を用いて新しく創作することもありました。コンテンポラリーダンスは、構造などが開けているので、そういった動きや構造に接することが一番の違いかな、と思います。今もたまにお芝居をやりますが、ダンサーとして出るとき、振付をするとき、演出をするとき、いつも「構造」を考えています。
――振付を始めたのは、どのタイミングなのでしょうか。
(J)お芝居をやっていた時も、振付を学ばずに自分の経験に基づいて、自由に踊りをつくったこともあります。それは、振付方法を理解して踊ったのではなく、自分を表現するためにやっていたと思います。専門的に振付をやったのは、大学の卒業制作をするくらいからかと思います。
――「自分を表現するために」という点は、池ヶ谷さんにも通じることかもしれません。池ヶ谷さんはクラシックバレエから始められたそうですが、コンテンポラリーダンスに移ったきっかけはどのようなものでしょうか。
(池ヶ谷奏さん:以下I)もともとバレエを習い始める前から踊ることが好きで、近くにバレエ教室があったので通わせてもらえました。母がダンスを見るのが好きだったこともあり、近くの劇場でモダンダンスなどのバレエではないダンスを見て、「なんて面白い動きをしているんだ」と。転がったり、手をついたり、バレエにはない動きを見て、「やってみたい」と思っていて、11歳からコンテンポラリーダンスを習い始めることができました。大学では舞踊学や歴史、創作方法などを勉強し、大学の卒業公演では、大きな舞台ではじめて自分の作品を発表しました。
――振付や作品創作をする時の気持ちは、ダンサーの頃と違いましたか。
(I)それまでは、先生の振付をどのように上手に踊るか、という思考でした。自分で振り付けてみたいという興味はあったので、作品を見に行った時も、自分だったらこういう展開にしたいな、という見方を前からしていたのですが、そのイメージを実験的にやってみたい、作品にしたいという思考に変わったと思います。学生時代は、周りに学生、つまりダンサーが目の前にいたので、毎日「今日はこれをやってみたいんだけど」と試せる場所がいっぱいありましたね。
――ダンサーに踊ってもらって試されていた、というお話でしたが、池ヶ谷さんの作品づくりは、ダンサーとの積み重ねで作品をつくっていかれることが多いのでしょうか。作品づくりのきっかけを教えてください。
(I)その時々によって全然違うのですが、音楽から入ることが私は多いかな、と思います。いろんなジャンルの音楽を聴いて浮かんだアイディアを試したり、フレーズを聴いて振付を考えてみる、といった形です。
――チョンさんはいかがでしょうか。
(J)池ヶ谷さんのように、音楽からインスピレーションを受けるときもあります。最終的には音楽と合わせるので、音楽から出発しているように見えるのですが、映画、写真、本、日常的な動きなど、さまざまなものから出発しています。音楽を使わない時もあります。ある特定のものから振付を始める、ということは言えないと思います。
(I)音楽からつくり始めて、全然違う音楽を最終的に持ってきたりする場合もありますし、音楽が必要なければ使わないこともあります。また、劇場ではない場所でやる場合に、フラットではない場所をあえて面白く使うように考えたり、例えば斜めの柱に対してどうやって体で表現してみようか、とアイディアをもらうこともあります。あとは、一緒にやる人ですね。ダンサーと一緒にやる場合はもちろん、音楽家、衣装など一緒に創作するあらゆる人からもインスピレーションもらえますし、今こうやって話している人から得るものも大きいです。今ここから生まれた間合いがいつか作品になるかもしれない、など、アンテナは常に張っています。自分の経験や思い出も作品になりますね。
――チョンさんは、劇場ではない場所で作品をつくる時の違いをどのように感じられていますか。
(J)劇場の観客は動かないですよね。一方的に見せることができます。いい意味で、集中して見せることができます。一方で、カフェやギャラリーでやる場合は、空間性と時間帯によっても変わるかな、と思います。やはり劇場ではない所でやる場合には、空間の分析が一番大事だと思います。空間の歴史性や時間性、アイデンティティ、どのような人がその場所を使うのか。劇場ではない場所の場合、特に視線は、見る側も見せる側も不便なところがあると思うので、いろんな時間帯にその場所を訪ねて、観客の動線に沿って、いつ、どこで、どのように見せるのか、というのを考えています。
――空間を分析する、という点は、池ヶ谷さんの「斜めの柱でどうしようかな」というところに繋がってくるのかな、と思いました。
(I)チョンさんのお話を聞いていて、観客の反応を上演中にダンサーが得て、踊り方が変わった経験を思い出しました。劇場では、舞台上やダンサーに視線が集中して、それに対してどう返すか、です。一方で、古民家でやったときは、虫が入ってきたことで作品が変わったり、天候に影響されたり、お客さんの視線が自分から離れたことがダイレクトにわかったりしました。そういったことも作品が新しくなるきっかけになったりするのかな、と思いました。
――上演中に作品が新しくなっていくのはすごくおもしろいですね。池ヶ谷さんは、一緒につくるアーティストの影響も受ける、というお話をされていましたが、音楽や照明、衣装、舞台美術といった要素に振付家がどこまで入っていくとお考えですか。
(I)すごくこだわりたいときは、全部自分で決めたい場合もあると思うのですが、私は他の人と考えをシェアすることも好きで、「そうくるならこうしたい」という「揺らぎ」を楽しみたいので、人とやることに全然抵抗はないです。しかし、「あのデザイナーさんの衣装でやりたい」と思っても、予算がなくてできない、じゃあ自分で考えるしかないか、と、ひっかかることはあって。本当であれば、私は振付と演出だけ考えて、照明プランは照明プランニングさんに頼めば済む話かもしれませんが、限られた予算の中でやりくりしながら、自分でやることが多いと思います。その制限が自分を成長させてくれたりもするので、それはそれで、という感じです。
――日本の支援の仕方にも関わってくるお話ですね。チョンさんはいかがでしょうか。
(J)出会うデザイナーによって違うかな、と思います。「どんなデザイナーさんと仕事をしたいのか」「どんなデザイナーさんと一緒に仕事をしたくないのか」、とも言えると思います。たくさん喧嘩しても合わないことや、招聘した私の言うことを何も聞いてくれないデザイナーもいます。私は作品のイメージをつくりますが、イメージ自体をデザインするのはデザイナーなので、そのデザイナーの意見を気にしなければいけないこともあります。振付家によって違うように考えるかもしれませんが、私は、私のクリエイションをちゃんと理解して、ちゃんと待ってくれるデザイナーと仕事をしたいですね。喧嘩する理由がポジティブであれば、デザイナーと喧嘩してもいいんです。大事なのは、やりたくない、面倒くさいという理由ではなくて、相手が考えるものが強くて、自分が考えているものも強いのであれば、その創作経験は私を成長させてくれます。そういったデザイナーとは、また一緒に仕事をしたいな、と思います。
――池ヶ谷さんも衝突されることはありますか。
(I)あります。思いが届いていなかった、がっかり、といった時もあります。でもやっぱりコミュニケーションは大事です。否定されたときも、相手がなぜ否定しているのかを聞くことで、自分になかったアイディアがわかったりします。衝突というより話し合いやコミュニケーションは大事にしています。
(J)作品を一番尊重するのか、僕の心を一番尊重するのか、デザイナーを一番尊重するのか、ということです。もちろん作品が一番大事ですよね。喧嘩したくないから、デザイナーやダンサーを一番尊重することもありますが、それは結果的に作品を尊重しないことになりますよね。最も大事な基準は、作品です。だから喧嘩しても大丈夫。独善的に見えるかもしれませんが、「こっちに行きたい」ということを大事にして、その思いを説明して、それでもうまくいかない場合は喧嘩したり、場合によってはその人と次は一緒に仕事をしません。残念ながら、デザイナーやダンサーと仲良くなることや優しい人になるのが作品の目的ではないですし、私が望む作品をつくるのが、私の責任でもあるからです。
(I)その通りだと思います。
(J)なるべく仲良く終わった方がいいですので、後悔する時もあります。でもこれが、振付家の義務や人生なのかな、と思います。
――ちょっと話題を変えまして。せっかくなので、韓国における舞踊全体の支援の方向や国民のマインドなど、状況をお聞きしたいです。
(J)この部分に関しては、通訳してくれている韓さんが知っていると思います。私の意見を伝えて、その後、韓さんのお話を聞きたいと思います。
助成金や国のお金をもらうんだからいい作品をつくって、社会にいい影響を与える、という義務があります。もらっているから返さないといけない。でもこれは、檻のように感じる事もあります。個々が独創的で自由な話や表現ができる時こそ、健康な社会なのではないか、と思います。
税金を使って自分の話だけしていると、社会にどんないい影響があるのか、と言われる時があります。けれど、芸術家たちは、宗教人や政治家でもないです。芸術は政治や経済を取り上げることはできますが、社会がアーティストに道徳・倫理・正義に関して発言することを強要すると、プロパガンダになります。社会を宣伝する芸術家になってしまうのです。もちろん、バランスも必要ですし、義務もあります。私は、芸術家が正義と正義ではないものの間にある微妙なところについて取り上げたり、言いにくいことや見せたくなかったような部分を個人的に見せることに価値があるのだと思います。
ベートーヴェンは社会のために作曲したわけではないですよね。本人の音楽的な世界を完成させるために作曲したのですよね。芸術家は自分の世界を完成度高くつくれば、今は難しいかもしれないですが、その芸術が未来の社会にいい影響を与えることができるのだと思います。例えば当時の社会がゴッホに「なんであなたは自分のことばかり描いているの。社会のための絵を描きなさい。」と言ったならば、私達は今ゴッホの絵を見てそんなに感動しないと思います。
韓国は、私が若い時より予算は増えてはいます。文化芸術が発展していくにはいい機会だと思います。一方で、社会が望むものをたくさんつくらなければいけないという義務が生まれる時代でもあります。私が思う一番いいバランスは、社会や国から助成金を受けようが受けなかろうが、社会のための作品もたまにつくって、自分の芸術世界も完成させる。そして税金を運用する機関は、負担に思うと思いますが、国民や国に税金の使い方をちゃんと説明した方がいいと思います。市民のためのワークショップも多く行われると同時に、アーティスト個人がつくりたい芸術世界をちゃんとつくれるように待ってくれる心とシステム、その2つがバランスよく取れた状態が必要だと思います。
韓国の予算状況は韓さんに。
(通訳・韓さん)私も韓国の予算状況に詳しいわけではないのですが、確かに見ていると、いろんな助成制度があります。日本は、アーティストが作品を発表するための支援予算額も少ないし、付随するスタッフの育成もあまりないように感じますが、韓国は体系的になっています。例えば、海外に進出するために、外国語教育を受ける助成金があったり、制作やスタッフの支援もあります。一方で韓国は、若手に関する育成はたくさんあるのですが、経験を積んだ方の助成金はあまりなかったような気がします。
(J)助成金をとるために、自分の興味の範囲ではないけれど、作品をつくるときもあります。アーティストたちはなぜそんなことをするのでしょうか。私がその助成金を取らないと、その助成制度自体が無くなるかもしれない、という不安感があるからだと思います。アーティストがこういった不安感を持つことは、社会的にもよくないと思います。助成制度があろうがなかろうが、社会が自分の作品をつくるまで待ってくれる、というのが大事です。そういった市民とシステム、アーティストを待ってくれるという意識、それが制度よりも大事なんじゃないかな、と思います。
(I)確かに、助成金のために作品をつくっているわけではないので、すごく共感しました。社会にとってどうなんだ、と聞かれることはいっぱいあるし、社会的に違うので不採択ですと落ちることもあります。それだとアーティストは生きていけないので、そのバランスをどのようにとったらいいのかな、といつも悩みどころです。
――アーツカウンシル新潟は助成金を出してもいるので、グサッとくるところもありつつ伺っていました。社会との関わりということで伺っていきたいのですが、コンテンポラリーダンスと聞くと、難しそうな問題を取り上げているのではないか、と思うこともあります。
(I)現代社会において舞踊とは、という質問をされるといつも困ってしまいます。常にその問題意識を持って作品をつくってはいない、というのが正直なところです。でも、私がつくったものを見て、お客さんそれぞれの人生に何かひっかかったり、おうちに帰ってから何か思い出す出来事があったり、小さいところからいつか何かに繋がったらいいな、という希望を持ってつくっています。一方で、動きを見てほしくてつくることもあるので、捉え方はそれぞれ自由でいいです。私も作品を見に行ったときに、この振付家はどうしてこういう演出にしたんだろうと深く考えることもあるし、逆に、この効果は面白かったといった純粋な感想を持って終わることもあるし、今日のお客さんうるさかったな、といった劇場の体験もひとつの経験になったりします。その時、その一瞬一瞬が自分にとってどうだったか、というくらいの経験として見てほしいな、と思っています。
(J)自己紹介するときに、「僕はコンテンポラリーダンスの振付家です」とはあまり言いません。「振付家です」だけです。「コンテンポラリー」という単語を聞くと、なんとなくスタイルを思い出しますよね。私は振付家なので、日本舞踊の動きを使っても、バレエの動きを使っても、日常生活の動きを使っても、何の動きを使っても問題ないです。けれど、「コンテンポラリーの振付家です」「バレエの振付家です」と「コンテンポラリー」や「バレエ」の単語を使うと、何となくイメージが決まってしまうんですね。私の頭の中でも想像力が狭くなります。だから、「コンテンポラリーダンスの」と使うことは多くないです。
しかし、コンテンポラリーダンスやコンテンポラリーの精神は好きです。「テンポラリー(temporary)」は「時間」という意味、そして「コン(con)」は「同じ・一緒」、つまり「コンテンポラリー」は「同じ時間」。今踊るいろんな踊りは全て「現代舞踊」なのです。コンテンポラリーダンス以前は、物語や宗教、社会、共同体について踊った時代です。しかし、コンテンポラリーダンスの時代は、人間の体や自分の感情が中心です。なので、プロフェッショナルのダンサーだけではなくいろんな人たちが自分の体を見せる、そしてそれを見ながら何か感動を受ける。今この時代です。これはすごいことだと思います。誰でも芸術的な何かをつくることができる。それがコンテンポラリーのすごさだと思います。
ダンスが他のジャンルと最も違うことは、体が表現の素材であるということです。だから体がサンプルになります。その人の体、その人の動きを見たら、「この社会か」「この歴史からこの体が出てきたか」「この文化なのか」とわかります。なので、動きだけをつくるのがコンテンポラリーダンスの振付家の仕事なのではないと思います。体が中心だから、私の体・あなたの体を尊敬して、受け入れて、技術がなくても、この人の人生を・動きを想像しながら交流する。これがコンテンポラリーダンスやこの時代の精神のすごさだと思います。
――池ヶ谷さんが考える「コンテンポラリーの意味」はいかがでしょうか。
(I)振付家それぞれが、その人の経験や持っている思考がそのまま表現されてよいダンス。型があったり、なかったり、それすらも振付家によって違うと思うのですが、自由だからこそ、個人が何を今伝えたいか、見せたいか、ということを素直に出せるダンスなのかなと思います。
①振付を考える時に、アーティスト同士で意見が合わないこともあると思います。ダンサーから、こうしてみたい、とか、自分はこういう表現はしたくない、という要望はありますか。
(I)もちろんあります。私がダンサーとして踊るときも、疑問があったら振付家に聞いたり、私の解釈を加えて踊ってみて、それはやりすぎだ、とか、違う、といった修正が入る場合もあります。私が振付をする時も、ダンサーが違う解釈で踊ってしまっているときは修正を加えるし、逆にそれが、そういうふうにも見えるね、と得るものがある時もあります。なので本当にコミュニケーションだな、と思います。ただただ従順に踊ってほしくないという思いもあります。
(J)経験を重ねた人だけではなく若い人や、演劇でも俳優さんとも意見が違うときもあります。その時に、まずは、その人が踊れるようにその動きをどのように説得するか、説明するかを考えます。あとは、この人と向き合うとなぜ緊張するのか、を考えます。例えば、年上だから、先生だから、男性・女性だから、経験が自分よりも上だから、強そうに見えるから、といったことが考えられます。社会の負担感や年齢をどのように消して自由になるか、これがいつも問題です。年上でも、若くても、まずは説得する。あとは、私とその人の間がどうやったら自由にできるのか、そういったことをたくさん考えます。踊ることは自由になるためでもありますから。
②ダンスの公演を実際に見たことがないのですが、知識がない人が初めて見るときに、振付をしている人の視点で、こういったところを注目するとおもしろい、興味を持てる、といったことを教えてください。
(I)ダンスをまったく見たことがない方がダンスを見てどういう反応をするのか、というのが楽しくてやっていたりもしています。なので、こう見てください、といったことは全然なく、新鮮な気持ちで見てほしいです。今見たものに対してどういう感想を持ちましたか、と逆に聞きたいくらいです。自由でいいというか、正解がないというか、なんでも正解だと思っています。ただ、作品をつくるときに振付家がこだわっているところはあると思います。それが動きの鋭さとか、一般の方がこの動きできないでしょ、というところまで練習しているかもしれません。動きだけではなく演出もそうですが、日常では見られないものが舞台の上で起こっていたら「わあっ」てなると思うし、狙ってやっているかもしれないので、それを素直に驚いてほしい、喜びに変えてほしいと思います。
(J)食べ物と同じかもしれないです。コンテンポラリーダンスは個人の感情やその振付家個人の問題・テーマが多いです。だから、その人の歴史やその人の作品のテーマを知らないと理解が少し難しいです。なので、まずはその作家の情報やバックグラウンドやダンスの歴史を少しだけでも知っていたら、もっと楽しく食べることができると思います。あとは、自分は何が好きなのか。好きな動きや写真を見つけたら、その作品をまずそこから見るのがいいと思います。
ダンスは言葉ではないですよね。演劇を見るとストーリーが見えますよね。もちろんダンスもストーリーはあるけれど、演劇のようにはストーリーがないので、鑑賞する時に演劇のようにストーリーを探すと混乱します。だから、頭を空っぽにして、自然にどこかに出かける時と一緒のように来てほしいです。理解をしないといけない、何かを感じ取らなければいけないという負担感なしに、魚が泳いでいる動きを楽しむように。木の枝が動いている時にかわいく見えるときがありますよね。そのように見ることが一番純粋で早く感じられると思います。そして、体が素材だから、どこでもいいですが、踊ってほしいです。何の踊りでも。体操でも水泳でも、何の運動でも。その経験がある人は、もっと早く理解ができると思います。
(I)食べ物と一緒というのは、わかりやすいなあと思いました。帰った後に、「あのシーン、なんか頭に残るな」とか、「気に入ったな」というちょっとしたことがあると嬉しいなと思います。お客さんが思い出してしまう、という記憶に残せたらいいなと思います。
(J)私の作品について、私の両親や友達でも理解ができない時も多いのに、よくわからない他人の作品を見て理解ができるでしょうか。理解するということはとても難しいことです。なので、理解できないということは、その責任のすべてが振付家にあるわけではないと思います。作品を理解するという「理解」という単語は、その作品をより深く理解するときに妨害になります。感じるものなのです。感じるということは、漠然とした感情ではないのです。このように生きていたから今この瞬間このように感じているのです。だから自分の感情を信じてください。そのように信じるその人の歴史を信じてください。それが作品をより軽く感じ取る方法かなと思います。
③明るいものの方が好かれるのではないかと思うときがあります。好かれる作品というものがあるのでしょうか。
(I)こうしたらお客さんが喜んでくれるかな、ということは頭にはありますが、だからといってキラキラしたものや、はやりの曲を使う、とかは全然考えたこともないですし、そのような作品が必ずしも評価されるとも思っていないです。有名なアーティストが出るような商業的な舞台はチケットが早く売れるというのは現実ではあると思うのですが、それだけをめざしていては、私達がやっている意味がないと思います。私だから表現できることを追求していたら、誰かにいいねと言われる日が来るかもしれない。それが来ないから自分のやり方を変えるというのは違うと思っています。見ている人の好みに合わせて自分を合わせる必要はないと思います。
(J)誤解しないで聞いてくださいね。お客さんは必ず必要だと思います。しかし、お客さんが何を見たいか、それはあまり考えずに作品をつくります。世界的に展開するハンバーガー屋さんもあるけれど、お客さんが少なくても、自分のお店の味でつくった特徴的なハンバーガー屋さんもあるかもしれません。社会的にあまり価値がないと言われるかもしれませんが、長期的に見たらこのような人たちがいろいろいる社会はもっと健康だと思います。2~3人しか来ないかもしれない。でも頑張りましょう。その2~3人が重要だと思います。
(I)お客さんを全部無視して、自分がやりたいのだけをやっていても、それはそれでちょっと違うのかな、とも思います。こちらが発信したものを受けてお客さんがどうなるか、というのが結果なので、それが一方通行だったらそれはそれで違うのかな、やっぱりそこもコミュニケーションかな、とも思います。
○Choreographers 2023 新潟公演 次代の振付家によるダンス作品上演&トーク
2024年 1月8日(月祝)@新潟市音楽文化会館 ホール
開演15:00/プレトーク14:00~14:45(13:45開場)
振付家・上演作品:
池ヶ谷奏、藤村港平「対象a」
女屋理音「エピセンター」
JUNG Young Doo(チョン・ヨンドゥ) 新潟在住の10-20代のダンサーと共に作品制作
プレトーク:
「こんなものまでダンスなの!? 秘蔵映像と最新情報で語るコンテンポラリーダンス徹底ガイド」乗越たかお(作家・ヤサぐれ舞踊評論家)
主催:NPO法人ジャパン・コンテンポラリーダンス・ネットワーク(JCDN)、公益財団法人全国公立文化施設協会
助成:文化庁文化芸術振興費補助金統括団体による文化芸術需要回復・地域活性化事業(アートキャラバン2)|独立行政法人日本芸術文化振興会
>詳細 JCDN ウェブサイト